川崎の無差別殺傷事件で犠牲になった外務省職員、小山智史さん(39)は、同省でも数少ないミャンマーの専門家だった。日本とミャンマーの「架け橋」として将来を期待されながら、理不尽な形で命を落とした小山さんのミャンマー人の友人らには29日、怒りと悲しみが広がった。

小山さんは事件2日前の26日、都内で「ミャンマー祭り2019」に参加後、行きつけの東京・高田馬場の料理店「さくらミャンマー」を家族4人で訪れた。家族ぐるみで交流していた女性店長(54)によると、1カ月に1~2回、来店し、26日も豚モツを使ったおでん風の「ワタドゥト」、ビーフンのラーメン「チェーオー」を食べたという。

いつもケーキなどの手みやげを携え、店では日本語ではなくミャンマー語で会話した。同国で人気のロックを、カラオケで歌っていたという。「家族思いで、優しい人だった。ずっと気分が沈んでいます」。

NPO法人「日本ミャンマー・カルチャーセンター」の落合清司理事長とマヘーマー所長は1年前、小山さんの妻に伝統楽器のたて琴を貸した縁で、交流が生まれた。26日、「さくら-」から帰宅途中の小山さん一家と偶然出会い、「楽しく話して別れた」(マヘーマーさん)ばかりだった。

落合さんは「この世界のエキスパートですが、エリート然としたところがなく、気さくで腰が低い方でした」と話す。「日本人にはあまりなじみのない店にも、よく来ていた。仕事だけではなく、本当にミャンマーがお好きなんだと感じ、『ビルマ愛』で一脈通じるところがあった」。2人の娘たちも、ミャンマーの歌を歌っていたという。

「ニュースを知った時は、『あの小山さん?』と。今も信じられないし、信じたくない」と、マヘーマーさん。2人と女性店長はこの日、事件現場を訪れ献花した。落合さんとマヘーマーさんは来月23日に行うイベントの前に、小山さんを追悼することも検討しているという。【中山知子】