「憲法について議論していく政党を選ぶのか、議論すらしない政党を選ぶのか」-安倍首相が声をからしている。年金・社会保障、消費税、景気対策…などに比べ、世間の関心ははるかに低いにもかかわらず、自民党は「~憲法のおはなし~自衛隊明記ってなぁに?」という冊子を20万部も作成し、配布している。憲法学者の小林節慶大名誉教授(70)に聞いた。
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-有権者の関心は低いのに安倍首相は憲法改正を参院選の争点にしています
自民党にとって関心が低いのはいいこと。突っ込んだ議論はされず選挙に勝てば、国民は議論をする政党を選んだとなる。
-自民党の改憲案はどこが問題ですか
4項目あるけど、安倍さんの本心は9条です。たたき台素案は、自衛隊を明記した9条の2を加え、「前条の規定は必要な自衛の措置をとることを妨げず」と書いています。これまでの政府解釈、国会答弁の「必要・最小限の自衛」から「最小限」を取った。そして「妨げず」です。前条とは戦力の不保持、交戦権の否認。法では新しい条文が優先されます。9条の2を入れることで現行の9条は死文化するんです。
-冊子は「これまでの9条の解釈は変えない」と書いています
矛盾かウソですよ。矛盾に気付かないはずがないから、ウソ。トリックじゃないですか。「現行の9条は、9条の2を妨げない」と言って、必要な自衛と称して派兵する。「必要」なんて勝手に政治的に認定できます。政府が必要としたら、どこへでも自衛隊を派遣できる改憲案です。
-仮に改憲勢力が3分の2を維持できたとしても、憲法審査会も国民投票もあります
国会法上、手続きとしては憲法審査会を開かなくても本会議にかけられます。会長権限で憲法審査会を開いて多数決してもいい。強行採決はいくらでもあったじゃないですか。安保法制という戦争法のときだって。国民投票では、自民党は「皆さん、9条が残っていますから、何も変わりませんよ」と言うでしょう。でも何も変わらないんだったら、何で850億円もかけて国民投票するんですか。
-首相は「自衛隊員が誇りを持って任務を全うできる環境を整える」と言いますね
自民党の冊子に書いてあるように、今、自衛隊は国民の9割から支持されていて、自衛官の肩身が狭いなんて世の中じゃないと思います。自衛隊という名称を憲法に書き込むこと自体が不自然なんです。自衛隊を管理する防衛省も役所の中の役所といわれた財務省も書かれてはいません。天皇、国会、内閣、最高裁判所、会計検査院と自衛隊だけというのは変じゃないですか。
-国民投票の問題は
国民投票は、公職選挙法で費用の上限が決められ、ポスターやビラの枚数も制限される選挙と違い、制約がないんです。金を持っているのは自民党だから、ゴールデンタイムを押さえて安倍さんと仲のいい有名人、タレントを使って「誇りの持てる憲法。新しい時代の新しい希望の憲法に私は賛成です」と流せば、サブリミナルで憲法改正賛成派が多数となりますよ。民放連は量的規制はしないと言っています。金がない野党がしょぼい時間に「明日、戦争ができる憲法になります」とCMを流しても情報戦で負けてしまいます。
-立憲民主党や国民民主党は公約に解散権の制約を入れてます
講演に行くと「先生、今の改憲論議はおかしいと思います。総理大臣の解散権の制約なんかを議論した方がいいと思うんです」と質問されます。学術的にはそうかもしれないけれど、現実の政治の中ではそんなもの、何の足しにもならない。今の野党に憲法改正の国民投票を提案する権限はないんです(※「議案」の提案はできても、実際には多数決で審議さえされない)。そんなことに時間をつぶす暇があったら、権限を有する自民党の案についてきちんと議論しなさい、国民に向かって説明することに精を出しなさいと言うんです。「相手の土俵に乗ったら負け」と言う議員もいます。でも乗らなきゃ負けるんです。自民党は全力を使って9条改憲案を動かしてきている。安倍さんは使命と言ってますから。使命として自衛隊を海外派兵できる憲法に変えようとしているんです。
-改憲論者から護憲派になったのですか
憲法は主権者の国民が国家権力を管理する道具にすぎず、時代が変われば車のモデルチェンジのように主権者が自分で改正していいという立場でした。でも、安倍さんが進める改憲論は大変危険だと思うから、止めるために今は護憲にならざるを得ない。「そんなはずじゃなかった」と後で論評しても始まらないんです。(聞き手・中嶋文明)
<憲法9条>
(戦争の放棄、戦力不保持、交戦権の否認)
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
<9条の2の条文イメージ>(自民党のたたき台素案)
1 前条の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。
2 自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
◆小林節(こばやし・せつ)1949年(昭24)3月27日、東京都生まれ。ハーバード大法科大学院客員研究員などを経て、89~14年慶大教授。15年、衆院憲法審査会に参考人出席し「集団的自衛権の行使は違憲」と表明した。