会えなくなった人ともう1度、言葉を交わしたいと願う人が途切れなく訪れる。岩手県大槌町の佐々木格(いたる)さん(76)が自宅敷地内に設置した「風の電話」を、東日本大震災被災者に開放して10年が経過した。被災者を含め、さまざまな理由で訪れた人は4万人以上に上る。会えない人と心をつなぐ「風の電話」にまつわる10年を佐々木さんに聞いた。

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電話線がつながっていない黒電話で話す人もいれば、ノートに思いをつづる人もいる。ノートは7冊目に入った。「切ないよね」とノートをめくる手を止めた。「お義母さん」と呼ばれないまま、震災で娘婿を亡くした女性がつづったものだ。最近では50代夫婦が印象に残っている。夫婦から話し掛けられ、一緒にお茶を飲んだ。夫婦は最初何も言わなかったが、20歳の息子が自殺したと泣きながら少しずつ打ち明けた。「被災者の方は3割いくかどうか。事故、自殺、病気なども多くなっているね」。

「風の電話」は米ハーバード大の授業でも取り上げられるなど海外でも有名になり、外国人訪問客も増えた。「想定していなかった。どこの国でもいつの時代であっても、大切な人を亡くした時の悲しみは同じだと分かるね」。海外からも「風の電話を作りたい」との声が相次ぐ。ポーランドからは新型コロナウイルスで多くの人が亡くなったことを理由に挙げた。「ある日突然、大切な人を奪うコロナは災害や事故と同じ。思いを伝える間がない」。

訪問者の半数以上が観光客とみている。当初は「観光客は来てほしくない。グリーフ(喪失に伴う悲しみ)を抱えた方に邪魔な存在だから」と観光パンフレットへの掲載を断ったが、近年考え方が変わった。「観光客として来ている方も、いずれ大切な人を亡くす場面に遭遇する。予備軍と考え、今はどうぞと入れています」と明かした。

自身も「風の電話」を1度だけ利用した。元同僚男性で「1番の友人」を震災で亡くした。津波で行方不明になった友人は2カ月後に発見された。上着のポケットに、佐々木さんを含む友人らの名前と電話番号を書いたメモが入っていた。

友人がよく飲み会を企画した。カニ祭りがあれば、一緒に出掛けてカニを食べながら飲んだ。佐々木さんの自宅にも何度も訪れた。「これからも飲む時はいつも一緒だよ。仲間で飲む時はお前も一緒だよ」。黒電話で友人に思いを伝えた。

春は色とりどりの花が美しく咲き誇る。グリーフを抱えた人が非日常的空間で癒やされるようにと、庭を1人で整える日々が続く。「ただの電話ではなく、社会性を持ってしまった。私が今更やめることはできないが、年齢的、資金的にも、個人でやるには限界がある」。「風の電話」の将来を模索している。【近藤由美子】

◆「風の電話」 いとこを亡くして悲しむ親族を癒やすため、佐々木さんが中古の電話ボックスを譲り受け、11年3月の震災直後に自宅の庭園内に完成させた。震災犠牲者の数があまりにも多く、被災者の訪問を受け入れるようになった。木製の電話ボックスは腐食が進み、18年に寄付金でアルミ製に交換した。「風の電話」をモチーフにしたモトーラ世理奈主演の同名映画(諏訪敦彦監督)が20年に公開。世界3大映画祭の1つ、ベルリン国際映画祭で若者向け作品対象のジェネレーション14プラス部門で国際審査員特別賞を受賞。