東日本大震災の発災から今日11日、丸10年となった。12都道県で死者1万5900人、行方不明者2525人を出した未曽有の大災害。津波で児童74人、教職員10人が死亡、行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校で、今野大輔くん(当時小6)を亡くした浩行さん(59)ひとみさん(50)夫妻は、10年がたとうと時計の針は止まったまま。その憎い津波は長女麻里さん(当時高3)次女理加さん(当時高2)の命をも奪った。夫婦2人きりで歩んだ10年。子どもたちへの思いを母ひとみさんが手紙にしたためた。

 
 
 
 
大川小遺族、今野ひとみさんの手紙
大川小遺族、今野ひとみさんの手紙

少年は山を見上げた。普段から授業で登っていた裏山。あそこなら行ける。「山さ逃げよう」。そう訴えたが先生たちに聞き受けられず約50分間、グラウンドに居続けることに。ようやく別の場所に避難行動を取り始めるや、背後からごう音と土煙とともに、黒い壁が押し寄せた。

生きたかった。大輔くんは地震から5日後、大川小のそばで遺体で見つかる。12年の人生だった。「あの子、口をぽかんと開けて寝てるみたいで」とひとみさん。70人を超える児童の命を一度に失う悲劇。浩行さんは「子どもたちが生きていて、俺らが死んだのかという錯覚に陥った」。

今野麻里さん(当時高3)(左)と今野理加さん(当時高2)
今野麻里さん(当時高3)(左)と今野理加さん(当時高2)

程なくして娘2人の亡きがらとも対面。ひとみさんは「麻里は右頬が溶けかかっていた。私が自己流で化粧をしました。理加は長い間、水に漬かっていたので顔が分かりづらかった」。

あれから10年。もし生きていたら大輔くんは22歳。大学に通っていたかもしれないと周囲からはよく言われる。だが、その姿が思い描けない。浩行さんは「最後に会えたのは小6だから。22歳は離れすぎてて…。どういう子に育ったのか想像できない」。親として、つらい。同級生の成長もそれに拍車をかける。

2年前の成人式にはスーツと革靴を買った。「袖を通すこともないのに何で買うの? と言われるけど、生きてたらと思って、どうしてもやってしまうの」とひとみさんは言う。

遺体とともに見つかったランドセル。筆箱の中には大輔くんがはまっていた修正液と修正テープが複数入っていた。最近、ひとみさんが使ってみるとまだ使えた。あの頃の息子を感じられて「うれしかった」。

近頃は料理教室にも通い始めた。娘たちが料理に興味を持ち始めていたことを思い出し、少しでも2人の気持ちに近づきたい一心で。「急だったから、この世に未練があって死んだはず。だから子どもが生きていたら何がしたかったのかなと思って行動してる」。

震災直後はもう1度、子どもを授かろうと不妊治療に臨んだ。おなかに宿った命も8週目に流産。何度も頑張ったが「受精卵も命だし、流れた子もかわいそうで…」と45歳を最後にした。養子縁組や里親制度も考えてはみたが、3人を失った重い事実に「命を預かる恐怖心が出て」(浩行さん)踏み出せなかった。

大輔くんが亡くなった大川小を歩く今野浩行さん(右)ひとみさん夫妻(撮影・三須一紀)
大輔くんが亡くなった大川小を歩く今野浩行さん(右)ひとみさん夫妻(撮影・三須一紀)

2月、夫婦で石巻市街を歩いていると理加さんの当時の彼氏に偶然会った。浩行さんが「もう大丈夫だよ」と止めるまで毎年、線香をあげに来てくれていた優しい彼。何げない会話を交わしただけで、娘の風を感じた。

「10年たっても前に進めない。それは20年たっても同じだと思う。成長した姿がやっぱりうまく想像できない。できることは走馬灯のように当時の3人を思い出すことだけ。子を失うって、そういう悲しみなんだよね」。ひとみさんは、しみじみと語る。

「テレビでNiziUを見ても娘を思い出してしまう」(浩行さん)と、同じ年頃の人気アイドルが記憶の引き金になることもある。逆に言えば、いつでも探している。麻里、理加、大輔。姿は見えなくても、毎日、毎日、その名前を呼び続けている。【三須一紀】

大川小運動会の応援団長として声を張り上げる今野大輔くん(一部加工)
大川小運動会の応援団長として声を張り上げる今野大輔くん(一部加工)
大輔くんの成人祝いで買ったスーツを手にする今野浩行さん(撮影・三須一紀)
大輔くんの成人祝いで買ったスーツを手にする今野浩行さん(撮影・三須一紀)

○…麻里さんが小6時に書いた、二十歳の自分へ向けた作文に「死んでなんかいません。私が生きたいと思ったら生きているのです」とつづられていた。震災から数年後、当時の教員が作文の内容を持参してくれたという。「二十歳のあなたに会いたい。あなたが笑っていたら私もうれしくて、泣いていたら私も泣きたい。だから私は生きたい。生きてこの答えを出してみたい。あなたに笑っていてほしいから、幸せでいてほしいから。だからあなたは生きています。死んでなんかいません」。母ひとみさんは「何か悟っていたのかな」と悲しそうに話した。

麻里さんの20歳への手紙
麻里さんの20歳への手紙