福島県の小名浜漁港(いわき市)で、イセエビを地元の新名物にしようという取り組みが進んでいる。2011年3月の東京電力福島第1原発事故後、福島県内の漁業は休漁や試験操業を強いられ、風評被害など苦境が続く。その中で、茨城県が安定漁獲の北限とされているイセエビの豊漁が続き、新“北限のイセエビ”として定着しつつある。地元仲卸・水産加工業「上野台豊商店」の上野台優(ゆたか)社長(46)は地元レストランとコラボし、味で知られる「常磐もの」の新たな目玉として発信している。

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上野台さんは「福島はおいしい海産物はいっぱいあるけど、目立った存在がない。“北限のイセエビ”は、救世主になるかもしれない」と言葉に力を込める。地元のイタリアンレストラン「スタンツァ」と共同開発してイセエビまるごと1匹分を使ったグリル&ピザにパスタソースのセットを昨年9月に発売すると、次々と注文が入った。「イセエビのインパクトの大きさにびっくりした」。「磐城イセエビ」と命名。期待は膨らむ。

小名浜港近くの「上野台豊商店」の3代目。名古屋市の鮮魚仲卸店で修業中の1999年に社長だった父和雄さんが急死し、23歳で帰郷。漁具販売から転身した祖父豊さんが始め、地元に密着した店で、母恵子さん(71)の後を継ぎ、主力のサンマで勝負してきた。震災では津波で本社や自宅が全壊。東電の事故も追い打ちとなり、事業が大きな打撃を受ける中、社長に就任。震災前から築地市場などの多くの鮮魚関係者から高い評価を受けてきた「常磐もの」が本来持つ、味で立て直しに挑んできた。

福島の漁業の苦境が続く中「福島名物がどんどん消えていった。県民が贈答品で他県のものを贈るようになった」。くやしさの中で、震災から3年後に商品化したのが「さんまポーポー焼き」。幼少時、祖母チユノさんがおやつ代わりにつくってくれた郷土の味だ。サンマのすり身にみそや酒などで味付けしてネギのみじん切りを混ぜてハンバーグのように焼く漁師料理。初年度の年間売り上げは1000万円までいかなかったが、今では4000万円と主力商品となった。

「そこにイセエビです」。いわき市でのイセエビの漁獲量は震災前は1トン前後だった。しかし、いわきのイセエビが注目されるとともに漁獲量も増え、19年3747キロ、20年4483キロ、そして21年は6159キロと伸びている。

「福島の魚は安全だ、と私が言うこともない。徹底検査しているから」。その上で、味で勝負する。「おいしいと感じる魚を提供したい。北限のイセエビは間違いなく、小名浜の武器になる」。【寺沢卓】

○…小名浜の水族館「アクアマリンふくしま」の学芸員松崎浩二さん(47)は同館近くの海に潜って捕獲した500グラム~1キロのイセエビを生体展示している。「福島県は砂浜ばかりだけど、小名浜は工業地帯で入り組んだ湾状になっていてイセエビが好む隠れる場所も多い。それと夏季に接岸する黒潮に乗って幼体が小名浜までくるんでしょう」と小名浜独特の地形がイセエビが居付くことに都合が良いと推察した。

漁師歴35年の地元小名浜の「順栄丸」小野年一さん(70)は刺し網漁でイセエビを狙う。「イセエビは昔からいるんだ。とれない時期はあるけど、越冬して小名浜で産卵するイセエビもいるはず。大きさは200グラムから2キロぐらいまでさまざまだ」と話す。小名浜魚市場での取り引きは1キロ当たりで3000~4000円で、昨年末には正月用で1キロ1万円の値もついた。