東京電力福島第1原発事故で避難指示が出された11市町村で11年後の今も唯一、全町避難が続く福島県双葉町で6月の帰還に向け準備宿泊が行われている。これまでに申し込んだのは19世帯26人。震災前、町の人口は7100人(2606世帯)。その1%にも満たない。2月24日に引っ越しを完全に終え、妻(54)、愛犬2匹と町での生活を再開した元競輪選手・谷津田陽一さん(70)を訪ねた。

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南相馬、秋田、東京、茨城、相馬…と避難生活を続ける間に、850坪ある谷津田さんの自宅の周りは「高さ2、3メートル、太いのは20センチもある松の木で林になっていた」という。除染、伐採、片付けを終え、11年ぶりの町での暮らし。「子どもも孫も親類もいなくて、自分たちだけなんで、外づらは一緒だけど、中身が入っていないみたいな感じなんです」。

地区で準備宿泊を申し込んだのは5軒だった。70歳の谷津田さんは2番目に若い。「俺より上の人ばかりだもの。平均年齢からいえば、10年したら誰もいなくなります。若い人が住んで結婚して子育てをして、どこにでもあるような生活をしてくれたら、そこからまた増えていく可能性があるけど、若い人がいないと、続かないよね」。

双葉町は事故後、町の96%が帰還困難区域に指定された。20年に双葉駅周辺や東日本大震災・原子力災害伝承館が建てられた中野復興拠点などの立ち入り制限は緩和されたが、宿泊はできなかった。住民帰還に向けた準備宿泊まで11年。あまりに長かった。

谷津田さんの自宅裏には10人のプロ競輪選手を育てた体育館(練習場)がある。広さ「14間の4間」(25・5メートル×7・3メートル)。その外壁にはペンキで採られた6人の孫たちの足形、手形が残っている。体育館の隣には谷津田さん手作りの孫用プール。ここで水遊びし、「ジュニアオリンピックで決勝までいった子もいるんです」。ブランコ、一輪車、竹馬…孫たちの思い出が詰まっている。

「夏休みとか遊びに来ればいいですけど、線量が下がり切ってないので、呼べないんです」。説明会では放射線量は平均毎時0・2~0・4マイクロシーベルト(年1・7~3・5ミリシーベルト)と伝えられたが、計測すると、屋外で0・9~1マイクロシーベルト(年7・8~8・7ミリシーベルト)あった。体育館の裏は6マイクロシーベルト(年52・5ミリシーベルト)もあり、訪ねた日、追加除染が行われていた。【中嶋文明】

◆双葉町 福島第1原発5号機、6号機が立地する。今も福島県内に約4000人、県外41都道府県に約2700人が避難している。役場もいわき市にある。6月の住民帰還に向け、1月20日、特定復興再生拠点区域で準備宿泊が始まった。町は5年後の居住人口2000人を目標にしているが、昨年の復興庁の意向調査で「戻りたいと考えている」と答えた町民は11・3%、「戻らないと決めている」は60・5%。

◆放射線量の基準値 日本人は自然放射線で年間2・1ミリシーベルト被ばくしている。年間100ミリシーベルト以下では健康への影響は確認されていないが、平常時は自然放射線以外の追加的な被ばくは年間1ミリシーベルト未満が基準となっている(年間1ミリシーベルト=毎時0・23マイクロシーベルト)。

◆谷津田陽一(やつだ・よういち)1951年(昭26)5月4日、双葉町生まれ。競輪学校25期生で67年デビュー。77年、高松宮記念杯、オールスター競輪を制し、G12勝。93年、双葉町に戻って練習場を造り、長男谷津田将吾(42)や北京、ロンドン両五輪代表にもなった渡辺一成(38)ら10人の競輪選手を育てた。02年引退。通算1928戦302勝。優勝30回。