放送開始55年目を迎えているオールナイトニッポン(ANN、ニッポン放送)が、絶好調だ。60年代後半、80年代前半に続く第3の黄金期といわれる。近年は深刻な低迷が続いていたANNに何があったのか。その歴史を振り返りながら、ANNの「今」を取材した。【秋山惣一郎】

オールナイトニッポン(ANN)がスタートした1967年(昭42)、ラジオ業界は生き残りをかけた試行錯誤のただ中にあった。テレビの台頭で電波メディアの王座から転落。聴取・視聴時間や広告費でもテレビに抜かれ、60年代初めには「ラジオは終わった」とみられていた。

ラジオの新たな方向性が議論される中で、ニッポン放送が主唱したとされる「オーディエンス・セグメンテーション」という考え方が、業界内で注目される。小型ラジオの普及で「一家に1台」から「1人1台」へとラジオを取り巻く環境は変化していた。環境の変化や機器の進化を背景に、それまでの報道、スポーツ、教養、娯楽と総合的な番組編成から、特定の時間帯に特定の聴取者向けの制作、編成への転換を促した。

当時、戦後のベビーブームに生まれた「団塊の世代」が、大学受験期を迎えていた。志願者に対する定員が少なく、受験戦争は激化。深夜まで勉強する10代が増えていた。ラジオ各局は、この層に向けた深夜放送に活路を求めた。67年にANNと「パック・イン・ミュージック」(TBSラジオ)、69年には「セイ!ヤング」(文化放送)がスタート(いずれも午前1時~)。若い世代の圧倒的な支持を得て、深夜放送は社会現象化していく。「カメ&アンコー」こと亀渕昭信、斉藤安弘ら社員がパーソナリティーを務めたANNはシーンを先導。局の看板番組となった。

だが70年代に入り、学生運動を担った「団塊」から政治や社会に関心の薄い「シラケ」への世代交代など時代や社会の変化とともにANNは低迷する。73年からは、泉谷しげる、あのねのね、吉田拓郎、笑福亭鶴光ら社外のパーソナリティーを起用して復活。ライバル局の2番組が終了した80年代は、タモリ、ビートたけし、中島みゆき、とんねるずといった布陣が人気を集め、第2期の黄金時代を築く。

90年代もナインティナイン、福山雅治、電気グルーヴらが安定した人気を得ていたが、00年代に入るころには、テレビの多チャンネル化やインターネットの普及などの要因もあって、ラジオ業界は長期低落の時代に入る。ANNも聴取者、スポンサーが離れ、10年代中ごろまで深刻な低迷が続いた。

00年代からの長期低落に歯止めがかからず、「かろうじて番組を維持している」「いつ終わってもおかしくない」とまでささやかれる惨状に陥ったANN。その復活劇は、どのように描かれたのか。ANNの冨山雄一プロデューサー(40)に聞いた。

-2007年(平19)の入社当時のラジオ、ANNはどんな状況でしたか

「2カ月に一度の聴取率調査週間には、多額の宣伝費をかけて広告を打ったり、豪華ゲストを呼んだりと社内、業界内はお祭り騒ぎで、それなりに盛り上がってはいたんです。ところが、会社を一歩出るとラジオの話なんか誰もしていない。ANNも活気がなく、スポンサーは数えるほど。制作費が圧縮され、生放送の予算が組めない、といった状況でした」

-そこから何が変わったのですか

「苦しい時代も今も、私たちのやってることは変わってません。いちばんは、スマートフォンの普及です。そこにラジオを聴けるアプリ「ラジコ」が搭載された。誰もが手元にラジオを1台、持っている状況ができたわけで、今まで聴く習慣を持たなかった若い世代との接点が生まれた。WiFi環境の整備が進み、ラジコに聞き逃し聴取ができるタイムフリー機能が実装された。SNSの利用者が増えて、ラジオの話題が拡散されるようになったことも大きかったですね」

-ラジコのデータを分析、活用している

「ラジコでは、テレビの毎分視聴率のようなデータが取れます。分析すると、おもしろいことが分かってきました。深夜放送は、受験生が勉強しながら聴いているというイメージが強くて、制作側にもANNは10代向けの生放送という先入観があった。しかし、聴取者層は20代が圧倒的で、朝の通勤、通学時間帯にラジコのタイムフリー機能を使って聴いてくれる。さらに上の年代のリスナーもいて、タイムフリーで聴く人が生放送の5~6倍も多いんです」

-パーソナリティーの人選も変わりましたか

「今は、かつてのように『誰も聴いてないから好き勝手やっていいよ』というわけにはいきません。広告がしっかりついて、話題を発信できる。グッズ販売やイベント開催につなげることができて、局のデジタル戦略にも合致する人材を求めています。まずは特番で起用して反響を見ます。ギャンブル的に起用して『失敗したらしょうがない』という発想はもはや持ってません。ハードルは格段に上がっています」

-復活への環境が整いつつある中で、特に大きな転機となったのは?

「振り返ると、16年の星野源さん、17年の菅田将暉さんのパーソナリティー就任だと思います。2人の起用で、新規の若い女性リスナーが劇的に増えました。ラジオの深夜放送って、パーソナリティーと男性のはがき職人の秘密基地、ふとんにくるまってコソコソ聴くといったイメージがありますよね。でも、若い女性が、昼間にタイムフリーで聴いてツイッターでつぶやく。で、ANNがSNSのトレンド入りする、といった現象が起き始めた。それまで、取材なんかほとんど受けたことがなかったけど、今や女性誌やファッション誌までさまざまなメディアが、ANNの特集を組んでくれる。スポンサーは、40社を超えて80年代の全盛期より多いほどです」

-デジタル化を逆境ととらえず、うまく利用しての復活。第3の黄金期といわれるゆえんですね

「デジタルの世界とは、共存共栄という感じですね。情報過多の社会にあって、昭和のオールドメディアが、人々の心を軽くする。ラジオは、そんないい案配のメディアだ、みたいに思われてるのでしょうか。この数年で、ラジオに対する視線がすごく変わった気がしています」

◆冨山雄一(とみやま・ゆういち)1982年(昭57)、東京都生まれ。04年、NHK入局。ラジオセンター、新潟放送局を経て07年、ニッポン放送へ。ANNのディレクターとして小栗旬、星野源、AKB48などを担当。18年からプロデューサーを務める。