共産党の委員長や議長を歴任した不破哲三さん(本名・上田建二郎=うえだ・けんじろう)が30日午後1時20分、急性心不全のため東京都の病院で死去した。95歳だった。

「共産党のカリスマ指導者」と呼ばれた不破さんは、日本の政治の変化を注視し、警鐘を鳴らしてきた。2005年8月に不破さんのロングインタビューをまとめた著書「私の戦後六〇年 日本共産党議長の証言」(新潮社)で、十数時間にわたるロングインタビューを担当した、政治ジャーナリスト角谷浩一氏が、不破さんを悼んだ。

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不破さんとの出会いは1998年。当時は活発に開かれていた、東京都・江東区の夢の島で党が開催する党勢拡大の行事「赤旗祭り」で不破さんが講演する、というので駆け付けた。簡単に会うことのできない政治家だと思ったことがきっかけだった。国会で遠巻きに見る野党大物政治家、講演会は党員であり、かつ不破ファンといえる聴衆で熱気に満ちていた。与野党の政治家が演説するところは幾度も見てきたが、不破さんの穏やかな語り口に注がれる聴衆の熱量に圧倒されたことを覚えている。その後、幾度かの赤旗祭りでの講演も同じ雰囲気につつまれていた。講演の後、少し話す機会をもらった。ぎょろっとにらむように見つめるといつものゆっくりした口調になり「わかってもらえたかな」と声をかけられた。

04年、ラジオ局・文化放送で政治塾を企画し、多くの政治家に登壇願ったが、1回目のスピーカーは中曽根康弘元首相と不破さんだった。2人が並んで着席することはかなわなかったが、2人の存在のオーラが会場を圧倒した。2人の話をたどれば日本の政治の2つの流れ、つまり与党の進めるメインストリーム(主流)の政治だけでなく、共産党の視点から見る戦後史は、全く別の視点で捉えることが多く、別の視点を交えること、立場が違うからこそ見えるものがいかに多いかを知らされた。それが「私の戦後六〇年、日本共産党議長の証言」につながる。インタビューの最後に20年に先立たれた七加子夫人がのぞきに来た。「あなたが角谷さん」と声をかけられた。おしどり夫婦といわれた夫妻の話の端に「若いのが話を聞きに来ている」となったのか。それ以来、会合でお目にかかると不破さんよりも先に夫人が声をかけてくださった。

不破さんは18人の歴代首相と対峙(たいじ)してきたが、70年代の政治は今よりもずっと活気があった。自民党内にも競い合う活気があったし、野党にも自民党に代わる提起を競い合っていた。今はその面影もないと嘆かれているかもしれないが、晩年、幾度か面会を申し入れたが「急ぎの用ですか」とやんわり断られた。もう現場にしっかりした後継がいますから、次の世代に任せましょう。これが不破スタイルだった。(政治ジャーナリスト角谷浩一氏)

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◆不破哲三(ふわ・てつぞう)本名・上田建二郎。1930年(昭5)、東京生まれ。旧制一高1年だった47年に共産党に入党。東大理学部卒。鉄鋼労連書記を経て64年に党専従。69年に衆院旧東京6区で初当選。82年に党中央委員会委員長、2000年に議長に就任。当選11回。03年に衆院選不出馬を表明。06年1月に議長を引退。党のシンクタンク「社会科学研究所」所長も務め、理論面から長年、党を支えた。党副委員長を務めた故上田耕一郎元参院議員は実兄。