歴史的一戦の裏側に迫る「G1ヒストリア」の第4回は、06年の天皇賞・秋を4番人気で勝ったダイワメジャーを取り上げる。3歳春に喘鳴(ぜんめい)症(ノド鳴り)の症状が出て、その年の秋にのどの手術に踏み切った。04年皐月賞から遠ざかっていたG1タイトルをついに手に…。管理した上原博之調教師(65)らが、同馬の強い精神力などを振り返った。

06年、直線抜け出したダイワメジャーがスウィフトカレント(左)を半馬身抑え天皇賞を制した
06年、直線抜け出したダイワメジャーがスウィフトカレント(左)を半馬身抑え天皇賞を制した

ダイワメジャーを手がけた上原博師は当時を思い返した。「馬によってはパフォーマンスが落ちることもよくあるけど、乗り越えてくれて術後もへっちゃらでね。根性があるし精神力が強かった。本当にタフで丈夫な馬だった」。

04年の皐月賞を勝ったダイワメジャーに、ノド鳴りの症状が出てきたのはダービー前だった。サラブレッドの競走能力に大きくかかわる深刻な疾患。手術を受けても完全に回復する保証はない。引退に追い込まれた馬もいた。

同年の天皇賞・秋は最下位17着に大敗した。その後、オーナーや生産牧場と協議。3歳秋にのどの手術に踏み切った。強さを再び取り戻したい、との陣営の願いがあった。執刀した獣医師の力や、何よりダイワメジャーには心身の強さが備わっていた。05年4月のダービー卿CTで復帰すると重賞2勝目を挙げ、すぐに結果を出した。ただその後、G1だけは4度挑戦して勝ち切れなかった。

それでも陣営は大舞台での勝利を信じ続けた。06年秋。前哨戦の毎日王冠を制したダイワメジャーは、涼しい気候も味方してさらに調子を上げていた。担当していた飯田助手は「常にいい状態なんだけど、その中でも状態が抜けていた。(追い切り後の)木曜に乗った時、あれだけ大きい馬(520キロ超)なのに常歩(なみあし)の時の乗り味が非常に軽くて。中2週でも全然平気。生涯ベストに近い状態だったと思う」と、自信を持って送り出した。

 
 

天皇賞・秋は安藤勝己騎手を背に2番手に収まり、抜群の手応えで直線へ。内からスウィフトカレントが迫るとギアが1段上がった。並ばれたら抜かせようとしない。代名詞といわれた勝負根性をフルに発揮。皐月賞以来、約2年半ぶりにG1ウイナーに返り咲いた。

師は「後ろから来ても、しのげるなという感じはあった。自分が一番偉いと思っているから、前に来られると嫌で抜かせないんだよね。お世話になっている大城オーナーの馬で取れたのがうれしかった。お年にもなっていたし、盾を持ってすごく喜ばれていた」。

手術から20戦を走り抜いた。師は実感を込めた。「長い間頑張ってくれて忘れられない一番の馬だし、規格外の馬」。天皇賞・秋の後はG1を3勝。ノド鳴りを乗り越え、ダイワメジャーは最後まで輝き続けた。【井上力心】

06年、天皇賞・秋を制し、握手するダイワメジャーの関係者、左から社台Fの吉田照哉氏、上原博師、大城敬三オーナー、安藤勝己騎手
06年、天皇賞・秋を制し、握手するダイワメジャーの関係者、左から社台Fの吉田照哉氏、上原博師、大城敬三オーナー、安藤勝己騎手

◆ダイワメジャー 2001年4月8日、社台ファーム(北海道千歳市)生産。父サンデーサイレンス、母スカーレットブーケ(ノーザンテースト)。牡、栗毛。馬主は大城敬三氏。美浦・上原博之厩舎。通算28戦9勝。重賞8勝。G1は04年皐月賞、06年天皇賞・秋、06年、07年マイルCS、07年安田記念の5勝。半妹にG14勝の名牝ダイワスカーレットがいる。07年有馬記念3着を最後に引退して種牡馬入りした。産駒からカレンブラックヒル、メジャーエンブレム、アドマイヤマーズなどJpn1も含め、8頭のG1馬が出ている。