実は「夏コク」から羽ばたいた1頭なんです-。学習院大在学中に「日本中世史」を学んだルーキー下村琴葉(ことは)記者が、歴代スターホースの逸話を探る連載「名馬秘話ヒストリア」の第10話は、有馬記念3年連続3着など個性派として輝いたナイスネイチャ。41戦中40戦の手綱を取った松永昌博調教師(68)が当時を振り返る。

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今夏の小倉開催も終わろうとしている。これまで「夏コク」から数々のスターホースが誕生しているが、有馬記念3年連続3着のこの馬もその1頭だ。

ナイスネイチャがデビューしたのは、月末の有馬記念でオグリキャップがラストランを勝利で飾った90年の12月。松永昌師はネイチャの新馬戦を「そんなに走るというイメージはなかったけどなぁ」と振り返る。2戦目で勝ち上がった後は脚部不安による休養もあったが、91年夏の小倉から才能が開花した。

7月の不知火特別(500万=現1勝クラス)を勝ったのを契機に4連勝。3連勝目の8月小倉記念では、道中4番手から直線で悠々と伸びた。

師が「菊花賞のトライアルで強烈な勝ち方だった。この馬、強いなと思ったよ」と話すのは4連勝目の京都新聞杯。師にとっても一番印象深いという。直線でかたまっていた先行集団をゴール前で一気に抜き去った末脚はずばぬけていた。

「性格は素直でおとなしかった。追い切りの時も乗りやすい馬だったね」。レース中もかかることはなかったが、2年7カ月ぶりの1着を手にした94年高松宮杯(当時)の後あたりからかかるようになったという。最後は8歳(当時表記9歳)まで走り、あの小倉記念から34戦連続で重賞に出走し続けた。

師はネイチャの引退後、何度も牧場まで会いに行っている。「反応? 何もないよ(笑い)。忘れてるんじゃない」と笑う。現在34歳のネイチャは北海道の渡辺牧場で元気に余生を過ごしている。バースデードネーション(※)では5400万円の寄付があり、引退馬の支援を手助け。愛されたネイチャは今でも、馬と人との絆をつなぎ続けている。

※バースデードネーションとは、誰かの誕生日プレゼントの代わりに、その人が支援している団体のために寄付を募るキャンペーン。ナイスネイチャバースデードネーションは、引退馬協会の広報部長ナイスネイチャの誕生日に合わせて行われる。寄付金は引退馬の再就職支援に活用される。

◆ナイスネイチャ 1988年4月16日生まれ。北海道浦河町・渡辺牧場生産。父ナイスダンサー、母ウラカワミユキ(母父ハビトニー)。馬主は豊嶌泰三氏。栗東・松永善晴厩舎所属。通算成績41戦7勝。重賞は91年小倉記念(G3)、京都新聞杯、鳴尾記念、94年高松宮杯(以上G2)の4勝。