今春で引退する調教師が語る連載「明日への伝言」の第4回は美浦・小桧山悟調教師(70)が登場する。個人馬主のためにトレーナーを目指し、これまで人との出会いを生かしてきた。NAR(地方競馬全国協会)とJRAから特別表彰を受け、本や写真集を出版するなど活躍の場は多方面にわたった。96年の開業から30年近い調教師人生を振り返った。

【取材・構成=松田直樹】

自分の歩んできた人生に対して幸福感しかないです。いろんな小さな出会いを最大限に生かせました。まず、私の個性をつぶさずにいてくれた、師匠の畠山重則先生に出会えたことが幸せでした。

弟子たちを残した、とよく言われます。でも、私にとっては弟子ではない。あの人たちに教えてもらったことの方が大きいですから。彼らにはいつもこう言ってきました。「伸び伸びやれ」、「責任は俺がもつから」って。そして、「いくら失敗しても、失敗はプラス材料にしないとただの失敗だぞ」、と。自分の失敗を酒の席で愚痴にした人は敗者。笑い話にできた人は成功者。「お前、ばかだなあ」。そう笑ってもらえたら、全部成功なんですよ。

青木(孝文師)には感謝、という言葉を何回言ったかわかりません。彼がうちの厩舎へきて調教師にならなかったら、こんな幸せな引退時期は迎えられなかった。雑誌に連載を持っていますが、それすらなくて彼らも来なかったとなると、実績もない知る人ぞ知るだけの調教師でした。

人との出会いって偶然だけど、結局のところ、それを生かせるか生かせないかです。私は個人の馬主さんのために調教師を目指しました。やってきたことは小さな、小さなこと。個人の馬主さんが生き残れるために尽力してきたけど、おかげでうちの馬主さんは離脱しないできた。みんなが勝利だ、重賞だと言う中で目指したのはトントンの収支。そうすると、馬主さんは永遠に続けられるんです。

私たちの世界はどこまでいっても、馬券がいくら売れるか。それだけです。与えられた環境の中で仕事をするのが調教師。JRAに対して文句を言う人もいますが、代替案や現行のルールを覆すような、万人に認められるアイデアを持っていない人に発言権はないと思っていました。調教師ってしょせん、小物なんです。代わりなんて、いくらでもいますから。

14年にNAR地方交流競走出走1000回の特別表彰を、昨年末にJRAの特別表彰をいただきました。“裏”表彰2冠です。調教師として、オンリーワンの称号をもらったと思っています。従業員にはきちっと営業をすればよかったと謝りましたが、みんなは「楽しかった」と言ってくれました。騎手、使うレースを99・9%、自分で決められた。ありがたかったです。

私が育ったのは阪神競馬場の近く。当時は中央競馬が社会的に認知されておらず、馬に興味はあったけど土日は電車に乗るなとも言われていました。父の仕事の関係でナイジェリアに移り住み、高校2年の終わりに帰国して…。馬術部出身の先生に「小桧山、大学に行ったら馬術だよ」と言われ続けて、農工大で馬術部に入りました。そこで国枝栄、後藤由之などの友人に出会いました。馬主さんも柴原栄さんをはじめ、たくさんの人に恵まれました。導かれて競馬の世界にきて、押し出されて卒業します。私みたいな変わった人間が1人くらい生きていけるという、懐の深さを競馬サークルは持っていました。

◆小桧山悟(こびやま・さとる)1954年(昭29)1月20日、兵庫県生まれ。畠山重厩舎で調教助手を経て95年に調教師免許を取得、翌96年開業。著書に「馬を巡る旅」シリーズがある他、ゴリラに関する写真集も出版している。厩舎在籍者からは青木、小手川、堀内の3人が調教師に転身。騎手は高野、山田(引退)、原、佐藤が門下生。ムツゴロウさんこと、故畑正憲さんや作家の浅田次郎氏など、多方面の著名人と交流がある。JRA通算7313戦218勝(12日現在)。重賞は08年ダービー2着スマイルジャックの同年スプリングS、21年トーラスジェミニの七夕賞など5勝。