落馬事故により10日に逝去したJRA藤岡康太騎手(享年35)の葬儀が15日、日本中央競馬会・日本騎手クラブ合同葬として滋賀県の栗東トレーニングセンター内で営まれた。

騎手、調教師、JRA役員ら関係者約1000人が参列した。騎手クラブ会長・武豊騎手、同期で親交の深かった浜中俊騎手が涙ながらに弔辞をよみ上げ、深い悲しみに暮れながら故人に別れを告げた。

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大粒の涙で別れを告げた。武豊騎手は言葉を詰まらせ、涙ながらに弔辞をよんだ。「藤岡康太くんに追悼の言葉を述べることはとてもつらく、残念でなりません。今、康太の遺影を前に胸が締め付けられる思いです。このような突然の別れを数日たった今でも受け入れることができません」。声を震わせながら、あまりにも早い別れを惜しんだ。

東西から多くの騎手、調教師らが参列した。斎場にはナミュール、ジョーカプチーノでのG1制覇の写真をはじめ、JRA通算500勝達成、宮厩舎所属時に撮った親子での笑顔の写真などが飾られた。参列者は深い悲しみに暮れながら、天国への旅立ちを見送った。

武豊騎手は約17年間、ともに競馬に騎乗してきた。「我々はあなたのことを忘れません。康太、ありがとう。そして、お疲れさまでした」と声を絞り出した。

浜中騎手もあふれる涙をこらえきれなかった。競馬学校の同期生として15歳で出会ってから20年、競い合い、励まし合い、ともに駆け抜けてきた。「もっとジョッキーを続けたかったよな。康太が一番悔しかったと思う」と笑顔の遺影を前に、おえつした。

親友として、時にはライバルとして-。笑って泣いて歩んできた。そんな特別な存在との別れの時。「康太の分は俺たち23期が頑張るから。奥さんや子どもの分もしっかり頑張るし、絶対に助けるから。しっかり見守っていてな」と涙を拭い、「康太が同期で良かった。今まで仲良くしてくれてありがとう。康太は23期の中で宝物です」と優しく語りかけた。

誰からも愛された35年間だった。飾られた写真の数々は、どれもそんな人柄がにじみ出る笑顔だった。あまりに突然で、早すぎる別れ-。皆が涙を流し、大きな悲しみに暮れた。【藤本真育】