良縁に支えられて-。今春引退する調教師が語る「明日への伝言」第5回は栗東・木原一良調教師(70)が登場する。
父の友人に勧められて、競馬界へ飛び込んだ。騎手では重賞制覇を果たすことはできなかったが、調教師ではここまで重賞11勝。たくさんの苦労を乗り越えられたのは、恩人と呼べる人がいたからこそ。馬、そして人との出会いを大切にした約50年のホースマン人生だった。【取材・構成=藤本真育】
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中山競馬場で騎手デビューしてから約50年、振り返るとつらいことはたくさんありました。何度やめようと思ったことか…。それでもこの世界で生きてこられたのは、支えてくれる“恩人”がいたからこそ。すごくしんどかったですけど、今となっては騎手、調教師という仕事ができて、楽しかったと思えます。
この世界を目指したのは、小学3、4年生の頃でした。競馬好きだったおやじの友人から「競馬の騎手にならないか」と言われたのがきっかけです。当時、父は土建業だったので、その仕事を継ぐのだろうと思っていましたが、秋に試験があるということで受けてみることにしたんです。そしたら、受かっちゃってね。まだ1度も馬に乗ったことがない状態でしたので、今考えたらすごいことをしていたと思います(笑い)。
学校(馬事公苑の騎手養成所)では苦労しました。馬に乗るのが怖くて、想像していた以上に大変でした。「もう家に帰ろう」。入学当初から何度も思っていました。そんな時に引っ張り上げてくれたのが、富田六郎厩舎で持ち乗り助手をしていた方でした。厩舎実習の時から親代わりで面倒を見てくれて、騎手としての初勝利もその方の担当馬でした。その方はもうガンで亡くなってしまいましたが、奥さんとは今でも連絡を取り合っています。
騎手としてなかなか騎乗機会に恵まれず、ケガに泣かされたこともあり、30歳を前にして引退を決めました。10年ひと区切りと考えていましたし、内藤繁春先生(元調教師)に「調教師試験を受けろ」と言われたこともきっかけです。当時、「自分はトップになる器ではない」と考えていたので、調教師になることなんて考えてもいませんでした。今の自分があるのは、恩人である内藤先生のおかげです。僕は本当に人との出会いに恵まれていたと思います。
これまでの調教師人生の中で、一番印象に残っているのが、マルモセーラの子で1日3勝を挙げた20年の10月10日です。マルモルーラー(京都1R)、マルモマリア(新潟3R)と勝って、最後マルモネオフォース(京都7R)に騎乗するのが暁(富田騎手)でね。装鞍所からガチガチに緊張していたのは今でも覚えています。同じ腹から出た3きょうだいが1日に3連勝なんて普通ありえないです。それが弟子の健(田中健騎手)で重賞を勝ったマルモセーラ(10年ファンタジーS)の子ですから。そりゃうれしかったですよ。忘れられない思い出です。
今、競馬はすごく盛り上がっています。人、そして馬との出会いを大切に。これからもスターホース、スタージョッキーを生み続けて、もっと競馬界を盛り上げていってほしいです。
◆木原一良(きはら・かずよし)1954年(昭29)4月25日、北海道函館市生まれ。74年に中山・富田六郎厩舎から騎手デビュー。3年目には関西に拠点を移動。JRA通算29勝で、84年に騎手を引退。内藤繁春厩舎での調教助手をへて、98年に調教師免許に合格。翌99年開業。10年新潟記念(ナリタクリスタル)でJRA重賞初制覇。JRA通算5649戦352勝、重賞11勝(17日現在)。

