2025年も多くの名馬が天国へと旅立った。98・99年有馬記念連覇を果たしたグラスワンダー、史上初のジャパンC連覇などG1・7勝のジェンティルドンナ、そして4月香港で競走中止となり安楽死措置が取られたリバティアイランド…。ファンの記憶に残る名馬の死を悼むとともに、その栄光を振り返る。(JRA、牧場などからの発表を受け紙面で報じたG1馬を中心に再編集したものです)

▽2月2日

エイシンプレストン(牡28)

けい養先の栄進牧場(北海道浦河町)で死亡した。米国産馬で99年秋にデビュー。3戦目の朝日杯3歳S(現朝日杯FS)でG1を制した。骨折による低迷期を乗り越え、4歳暮れの香港マイルで2度目のG1勝ち。5、6歳時に香港のクイーンエリザベス2世Cを連覇するなど息の長い活躍を見せた。通算32戦10勝(香港含めG14勝)。19年に種牡馬引退後は、牧場で余生を過ごしていた。

▽2月21日

タイキフォーチュン(牡32)

けい養されていた本桐村田牧場(北海道新ひだか町)で息を引き取った。引退馬協会によると同日午後4時ごろに倒れ、立ち上がれない状態になった。次第に呼吸が荒れて心拍数も上昇したため、苦痛を長引かせないよう獣医師により十分な麻酔剤を投与した上で安楽死の処置が施された。倒れる直前までカイバを完食して、普段と変わらない生活を送っていたという。米国生まれで95年に美浦・高橋祥泰厩舎からデビュー。初代NHKマイルC覇者で通算15戦4勝。

▽2月24日

ジャンダルム(牡10)

生産関連会社のジェイエスによると、不慮の事故で左トモの大腿(だいたい)骨を骨折し、安楽死の処置が施されたという。快速牝馬ビリーヴの子として17年9月に池江厩舎からデビュー。6歳春にスプリント路線へ転向し、22年秋には荻野極騎手に導かれて母子制覇となるスプリンターズS制覇を果たした。同年で現役を引退し、北海道日高郡新ひだか町のアロースタッドで種牡馬として供用されていた。通算成績は30戦7勝。初年度産駒は来年デビューする予定。

▽4月25日

メイショウマンボ(牝15)

出産時の出血により体調を崩し、25日朝に容体が急変して息を引き取った。けい養先の北海道浦河町・高昭牧場の上山泰憲代表は「急に起きられなくなったからね。生まれて間もない子供(父ホッコータルマエ)を残してしまった」と声を落とした。13年にオークス、秋華賞、エリザベス女王杯を制覇し、JRA最優秀3歳牝馬に輝いた。通算31戦6勝。17年に引退した後は生まれ故郷の同牧場で繁殖入りしていた。

▽4月27日

リバティアイランド(牝5)

香港G1クイーンエリザベス2世C(芝2000メートル、シャティン)で悲劇に見舞われた。まさかのアクシデントだった。後方から徐々にポジションを上げたが、ゴールまで残り250メートル付近で急失速。競走を中止し、川田騎手が下馬した。愛馬の鼻先に顔を寄せたまま、しばらく動けなかった。その後、馬運車で運ばれた3冠女王の命が、助かることはなかった。所有するサンデーレーシングによると、左前脚の種子骨靭帯の内側と外側を断裂しており、安楽死の処置がとられた。

父にドゥラメンテ、母にオーストラリアG1馬ヤンキーローズを持ち、22年にデビューした。同年の阪神JFでG1を初制覇。翌23年には史上7頭目の牝馬3冠制覇を成し遂げた。前走のドバイターフで8着に敗れ、帰国せずに香港入りして調整されていた。異国で復活を狙ったが、あまりに悲しい結末となった。通算12戦5勝(G14勝)。

▽5月9日

アンライバルド(牡19)

種牡馬としてけい養されていた北海道日高町のブリーダーズスタリオンステーションで脚を滑らせて転倒。右後肢の骨折で安楽死となった。父にネオユニヴァース、半兄にダービー馬フサイチコンコルドを持ち、現役時代は10戦4勝。岩田康騎手で09年の皐月賞を制した。管理した友道師は「“伝説の新馬戦”から始まって、初めてクラシックを勝たせてもらって、ダービーは1番人気で…。この馬の経験があってダービー3勝があると思います」と感謝を口にしていた。

▽5月14日

ダノンシャンティ(セン18) 父フジキセキ、母シャンソネット、祖母がグロリアスソングという血統。09年に栗東・松田国英厩舎からデビューし、3歳春に毎日杯を制した後、NHKマイルCでは追い込みを決め、1分31秒4のレコードでG1制覇を果たした。通算8戦3勝。現役引退後は種牡馬となり、重賞4勝を挙げたスマートオーディンが代表産駒。種牡馬引退後は北海道岩内郡共和町のホーストラスト北海道分場で余生を送っていた。

 

【追悼】さようなら名馬 98・99有馬連覇の栗毛の怪物、G1・7勝の貴婦人…/25年下半期>>