「開幕2018 群像」と題し、プロ野球遊軍記者が3月30日をルポする。ハレの日として迎える選手もいれば、雌伏の時をかみしめ、捲土(けんど)重来を期す選手もいる。普通なようで、でもやっぱり特別な1日を時系列で追う。

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 新宿から小田急線の急行に乗り、川崎市のジャイアンツ球場へ向かった。

 駆け出しの巨人担当だったころ、先輩に「開幕戦はジャイアンツ球場からスタートしろ。一番乗りで」と言われた。「若手もいればベテランもいる。それぞれが、いろんな気持ちで野球をしている。開幕戦ならなおさら、思うところがあるはずだ。取材の原点にしろ」。

 まだ暗い室内練習場から「カサッ、カサッ」とネットスローの音が聞こえ、行くと汗だくの桑田真澄がいた…そんな思い出もある。習慣として身に付き、できる限り行くようになった。

 狛江を過ぎると太陽が上がってきた。散りかけた桜並木の隙間から、柔らかな陽光が車中へ入る。プロ野球の開幕とは、春の訪れを告げる季語でもある。

 6時すぎに着くと、ベテランの球場職員がクラブハウスの鍵を開けていた。30分ほどすると「久しぶり。何してる?」と、2軍投手コーチの小谷正勝が車を滑らせてきた。

 名伯楽という言葉を使える数少ない人。誰もいない記者室でホットコーヒーをすすりながら「開幕だなぁ」とパイプいすに座り、雑談になった。

 内海の話題になった。前日、ジャイアンツ球場のファーム戦に先発していた。ヤクルトのドラフト1位、村上に直球を本塁打された。「今、内海の状態は非常にいい。ボールがいってるから逆に、打たれてしまうこともある。相手をずらしたりタイミングを外したり。本来はそういうピッチャー」。入団から知っているから、投球を見て15年目になる。

 行動パターンも分かっている。「内海はもう来るよ。朝、早いから。変わらない、ひたむきだよな。でも、彼は昨日の登板にかけていたと思うよ」。7時になって「練習の準備がある」とクラブハウスに入り、入れ替わるように内海が来た。「久しぶりですねぇ。どうしたんですか?」。小谷と同じ問いかけから立ち話になった。内海は開幕ローテを逃していた。

 「昨日はダメでした。最近、マウンドで緊張する時があるんです。ここ2、3年、ファームにいる時間が長い。『打たれたら』とか、結果とか、無意識のうちに考えてしまうんでしょうね」

 記者として、彼に育ててもらった面がある。初めて2桁勝利した06年、巨人担当になった。ジャイアンツ球場の内海は、どこにいるかすぐ分かる元気で若駒の先頭に立っていた。「楽しそうに野球をする人だな」と思った。開幕ローテが崩れて1軍に上がるとチャンスをつかみ、そのまま軸になった。何行書いたか分からないほど書かせてもらった。

 2度の3連覇は彼なくして考えられない。その投球術はもちろん、豊かな人間性で巨人を支えた。2年連続最多勝の12年、日刊スポーツは優勝手記を頼んだ。

 「『内海城』はまだ平らな1階建ての城かもしれない。でも、階が分かれているよりよっぽどいい。広いフロアにみんな一緒。『雑魚寝ジャイアンツ』で最高だ」

 内海哲也が凝縮された言葉だ。当時の巨人は特に、個の集積としてチームが形成されている色が濃かった。仲間を思いやり、全体の利を優先する人間が引っ張っていたからチームがまとまり、掛け算で奥行きのある強さが生まれた。個人と組織の比重を変えたのが内海であり、野球という競技が持つ大いなる魅力を教わった。

 いつまでも輪の真ん中にいてほしい。だから今の胸の内から出た少しの弱気を聞き、自然と首を振っていた。そんなこと言うな。「頑張ってるんだから『頑張れ』と言えないし…うまく言えないけど」と言ってから先が見つからず、無難に「体に気をつけて」としか言えず、右肩を2度たたいて別れた。

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 「上原は久しぶりに会ってだいぶ落ち着いたというか、人間の幅が出たように感じた。アメリカでいろいろ経験して、苦労もしてきたんだろう」。小谷の言葉をとどめ、ジャイアンツ球場を下山した。新宿行きの小田急線に乗って東京ドームへ向かった。(敬称略)【宮下敬至】

 

 ◆宮下敬至(みやした・たかし)99年入社。04年の秋から野球部。担当歴は横浜(現DeNA)-巨人-楽天-巨人。16年から遊軍。