7歳で野球を始め、12歳で胸に決めた。オリックスのドラフト4位中川颯投手(22=立大)は「人と違うことをしないと上の世界では生き残れない」とアンダースローに転向した。

「プロは野球の世界でトップ。そこを目指してやってきた。自分は足が速いわけでもなく、肩が強いわけでもない。武器がないと。他の人と違うことをやらないと生き残れないと思って」

転向は小学6年生。中学でも野球を続けるか、違うスポーツに打ち込むか…。人生で1回目の進路選択の際、チョイスしたのは「下手投げ」だった。大正中時代に所属した「横浜泉シニア」で頭角を現し、桐光学園では背番号1をつけた。立大では1年春からマウンドに上がり、最優秀投手賞を獲得するなど、59年ぶり日本一の原動力となった。

直球のMAXは136キロ。スピードへのこだわりは捨てている。「球速を意識するとテンポが単調になる。球質もシュートしてしまうのでバットの軌道に入りやすい。それでは空振りが取れないんです」。ジャイロ回転を意識して、打者のタイミングを外す。投手の目的は「アウトを取ること」だと胸を張る。

サブマリンの球種は「スライダー、チェンジアップ、シンカー、カーブ、カット、ツーシーム」と豊富。左右上下にボールを動かすことで、打者を惑わす。自ら考えた「生き残り方」で日本最高峰の舞台に挑戦する。【オリックス担当 真柴健】

アップで笑顔を見せる中川颯(代表撮影)
アップで笑顔を見せる中川颯(代表撮影)