プロ野球選手とは不思議なものだ。野球少年はいつかプロ野球選手になりたいと夢を見る。ファンは活躍する勇姿を見届けて活力をもらう。かたやそのプロ野球選手の友人は誇らしそうに、時には心配しながらも応援する。グラウンドで躍動することで、数え切れないほど多くの人の心を動かすことができる。

巨人大勢投手(24)の存在が生きる支えになった人がいる。今季初登板の4月2日の中日戦(東京ドーム)。WBCから帰還後、指にマメができて開幕2戦を欠場し、3戦目で今季初登板した試合だった。3者凡退に抑えてお立ち台で「ただいま帰りました!」と叫んだ。

叔父の市場年男さんは妻とともに病室のテレビ画面越しにおいっ子の笑顔を目に焼き付けた。「良かったなあ」。病院から帰宅しようとする妻にこう言って別れた。「大勢は前半やない。今年は後半やから」。そのわずか2時間後、静かに息を引き取った。54歳だった。大勢への期待する言葉が最後の言葉だった。

年男さんの存在がプロ野球選手への土台を作った。大勢が幼少期の頃、トラック運転手だった年男さんにいつもグラウンドまで送り迎えしてもらった。練習も試合も温かく見守ってくれた。大学生になると毎年1月2日、年男さん夫婦を乗せて岡山・最上稲荷まで往復3時間の道のりを運転。息子と親のような関係だった。しかし、大勢の巨人入団と時を同じくして年男さんの体調が悪化。プロ野球選手になった自慢のおいっ子が闘病の支えだった。いつか、大勢の晴れ姿を生観戦することが夢だった。でも、かなわなかった。

亡くなってから8日後、大勢は広島からの移動日に球団に許可を取って葬儀を終えた兵庫を訪れた。仏壇に「おっちゃん飲んでよ」と叔父が大好きだった日本酒をそっとお供えした。「野球が大好きなおっちゃんでした」。より一層の活躍を誓ったシーズンだったが、右上肢のコンディション不良の影響で離脱期間もあり、27試合の登板で14セーブ、防御率4・50にとどまった。

再起を期す来季。契約更改会見で誓った。「来年もクローザーをやらせてもらえるという甘い気持ちはない。もう1度クローザーを奪いに行く気持ちでやりたい」。大勢が懸命に戦う、戦わなければならない理由はたくさんある。【巨人担当=小早川宗一郎】