野球の国から

秋の季語だった静岡・草薙球場の「パ東西対抗」

<鉄道と野球~東海道線を行く~静岡駅>

西へ向かう東海道線は、「鉄道と野球」を巡る旅の終点、静岡駅に到着した。駅前でタクシーを拾って20分ほど、県草薙総合運動場内に「草薙球場」はある。プロ野球草創期の1934年(昭9)、沢村栄治が、ベーブ・ルースから三振を奪うなど快投を演じた伝説が残る球場だ。


しかし、熱心なパ・リーグのファンにとって「静岡・草薙」は、また別の響きを持つ。毎年秋に開かれていた、パ・リーグオールスター東西対抗の舞台として愛された。パ6球団のスターが東西2チームに分かれて戦う親善試合。ペナントレースとは違う、なごやかな雰囲気が秋の静岡によく似合った。

東京の近鉄応援団員だった礒部雅裕さん(46)は、応援団に入った90年から、ほぼ毎年、応援に出かけた。「シーズン最後の試合で、団員の忘年会のような趣もありました」。外野席には全国から応援団が集結。ライバル球団の選手にもラッパや太鼓で声援を送った。試合後は球場外で、選手応援歌や連盟歌「白いボールのファンタジー」をみんなで歌う「2次会」が果てなく続いた。パのファンがリーグ、チームへの忠誠と団結を誓い合うイベントでもあった。礒部さんは「他球団の応援団やファンを率いてリードを取る東西対抗は、団員にとって晴れ舞台でした。緊張感と高揚感。忘れられません」と話す。

東西対抗は88年、地元放送局、テレビ静岡の開局20周年の記念事業として始まった。同社の元常務、大橋誠さん(71)は「当時のパは、人気面でセと大きな差があったが、西武の清原和博ら、若い人気選手が登場していた。20周年事業にふさわしい、と発案しました」と振り返る。

06年11月5日、パ・リーグ東西対抗で本塁打競争をする日本ハム小笠原
06年11月5日、パ・リーグ東西対抗で本塁打競争をする日本ハム小笠原

「地方民放が運営できるか」「静岡で集客は大丈夫か」といった不安をよそに大成功。この年限りの予定だったが、大橋さんは「恒例行事にしたい」とパ連盟に持ちかけた。連盟が出した条件はひとつ。「常に草薙を満員にしてください」。「やりましょう」と応じて90年に再開。野茂英雄もイチローも松坂大輔もダルビッシュ有も、パのスターは、みんな草薙でプレーして「パ東西対抗」は、秋の季語となった。

だが、クライマックスシリーズの導入や国際試合の開催など11月の日程確保が難しくなった。

06年11月5日、最後の東西対抗には1万6241人が詰めかけ、立ち見客も出た。「なぜやめるんだ」と、小池唯夫・パ会長(当時)にブーイングを浴びせるファンを見て、大橋さんは「こんなに愛されていたのか」と驚き、うれしくなった。「セに追いつけ追い越せ、と連盟も球団も選手も協力的でした。今日のパの隆盛に少しは貢献できたと思います」

だが、この日の外野席に、近鉄応援団の礒部さんの姿はなかった。応援にすべてを懸けた近鉄は04年に消滅。以後、プロ野球と距離を置くようになった。礒部さんは、静岡・草薙球場の名を聞くたび「あのころ」を思い出すという。(この項おわり)【秋山惣一郎】

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