プロ3年目、1992年(平4)のオールスターで古田はまた1つ偉業を成し遂げる。球宴初のサイクル安打だ。千葉マリンスタジアムで行われた第2戦の試合前、全セ指揮官だった広島山本浩二監督から呼ばれた。

「なんか面白いことやろうや。お前、1番を打ったことはあるか?」

「ありません」

「じゃあ、打つか?」

「打たせてください」

前年に首位打者を獲得。この年も前半戦3割2分9厘で首位の阪神オマリーと6厘差の3位につけていた。“打てる捕手”と話題になっていたこともあっての「1番捕手」起用だった。

チャンスだと思った。第1打席に三塁打を放つと、第2打席に安打。そして第3打席に本塁打を放ち、早々とサイクル安打に王手をかけた。「僕ら8番捕手はだいたい2打席で交代。主力はいいなあって思って見てました。この時も、第3打席の本塁打と第4打席のライトフライの成績が逆だったら、代えられていたかもしれない」。第4打席、二塁打狙いで打った右翼への当たりはダイエー佐々木誠の好捕にあった。第5打席、フェンスを駆け上がる勢いで捕りに来た西武秋山幸二の頭上を抜き、二塁上で万歳をした。

主力とそうでない選手の球宴は別物だ。例えば近鉄野茂英雄は、中日落合博満に対して直球で勝負にいく。分かっているから落合はそれを狙って打つ。だが、8番を打つことが多かった古田は、そういうわけにはいかない。シーズンと変わらない配球で、決め球に変化球も平気で投げてきた。価値あるサイクル安打だ。

「たまたまですよ。シーズンでは2000試合以上出ましたけど、1度もサイクルやったことないですからね」。これがプロ野球人生唯一のサイクル安打だった。1番打者だったため、第3打席までもらえたこと。それまでに王手をかけられたこと。奇跡の積み重ねがあっての記録だった。

この1年前、91年の球宴ではパの俊足選手たちと勝負。オリックス松永浩美、日本ハム白井一幸、西武秋山幸二と盗塁を3度刺してMVPを受賞している。「人ごとのように言うのもなんだけど、プロっぽくていいよね。お互いの得意なところで勝負しあって、オールスターっぽい勝負でした。1-0っていうスコアもよかった。おかげでMVPをもらえました」。チャンスに勝ち続けることでスターダムへのし上がっていった。(敬称略=つづく)【竹内智信】