さまざまな元球児の高校時代に迫る連載「追憶シリーズ」。第24弾は西田真二さん(57=四国IL香川監督、元広島)の登場です。大阪・PL学園の4番&エースで、1978年(昭53)夏の甲子園で全国制覇。準決勝、決勝とも敗戦寸前の9回に追いつき、逆転、サヨナラで勝つ「逆転のPL」を生んだ主役でした。筆者はPL野球部OBの元日刊スポーツ記者、井坂善行氏(62)。昨夏限りで休部した全国制覇7度の同校硬式野球部も追憶しながら、全8回でお届けします。11月21日から28日の日刊スポーツ紙面でお楽しみください。ニッカン・コムでは、連載を担当した記者の「取材後記」を掲載します。

取材後記

 西田真二と筆者は高校の先輩、後輩の関係になる。筆者はPL学園硬式野球部の18期生で西田は6歳下の24期生。西田、木戸のPL-法大コンビがともにドラフト1位でプロ入りした当時、筆者は日刊スポーツのトラ番だったから、西田とはよく球場で顔を合わせ、お互いの近況報告をしてきた。

 「井坂さん、もう60歳超えているのに、歩き方は若いじゃないですか」。

 西田が監督を務める独立リーグの四国IL・香川オリーブガイナーズが練習を行う香川県営野球場を訪れた時、相変わらずの「毒舌」で出迎えてくれた。しかし、西田を知る筆者とすれば、それでこそ西田、西田が変わらずに元気に野球をやっている証を受け止め、その言葉がうれしく、ホッとした気分になった。

 高松市内の喫茶店に移動し、久しぶりに西田をじっくり取材することができた。

 その中で、西田は何度となく「ゾーンに入る」という表現を使った。その前後の会話からして、「集中する」という意味で使っていた。

 「広島時代、大事な場面で代打に使われると、完璧にゾーンに入るんですよ。応援も耳に入らないし、相手の野手も目に入らない。ピッチャーとキャッチャー、この二人とボクとの勝負に入るんです。あの緊張感というか、緊迫感というか、たまらないですよね。今のウチの選手にも、そういうことを感じながら野球が出来る立場になって欲しいと思っています」

 甲子園で、神宮で、そしてプロの世界で。それぞれ「シビれる場面の野球を体験してきた」西田にとって、今はプロ世界に選手を送り込むことに「ゾーンに入っている」。信念の日々だ。【井坂善行】

 ◆井坂善行(いさか・よしゆき)1955年(昭30)2月22日生まれ。PL学園(硬式野球部)、追手門学院大を経て、77年日刊スポーツ新聞社入社。阪急、阪神、近鉄、パ・リーグキャップ、遊軍記者を担当後、プロ野球デスク。阪神の日本一、近鉄の10・19、南海と阪急の身売りなど、在阪球団の激動期に第一線記者として活躍した。92年大阪・和泉市議選出馬のため退社。市議在任中は市議会議長、近畿市議会議長会会長などを歴任し、05年和泉市長に初当選、1期4年務めた。現在は不動産、経営コンサルタント業。PL学園硬式野球部OB会幹事。