巨人以外、セ・リーグではどこもやったことのない3連覇達成。たいしたものです。2年前の優勝時には「涙が出る」と書きましたが、もはや、笑ってしまうほどの強さ。広島黄金時代が到来したのは否定のしようもありません。

特にカープのいいところは若手からベテランまで、それぞれの選手が個性的なところでしょう。

3連覇達成で、もはや名将となった緒方孝市監督は、正直、それほど目立ちません。

それでもこの男がいなければ、3連覇はなかったということはハッキリと言えます。なにしろ、緒方監督は「広島カープの権化」なのです。広島3連覇の記念に、思い出話をちらりと書いてみたいと思います。

あれは日本ハムで人気だった新庄剛志(当時)が試合中に引退宣言をして世間を騒がせた年だから06年のことだと記憶します。当時、現役だった緒方とシーズン終盤に神戸で食事をしました。その際に苦笑を浮かべ、こんなことを口にしたのです。

「もう今年で辞めようと考えてたんですけどね。ダメでしたわ。あんな風に引退を決められる新庄がうらやましいような気もしますね」

緒方は、そのシーズン限りでの現役引退を考えていたことを明かします。同時に内々に球団幹部に相談した結果、「引退することを断られた」という、ある意味、驚きの事実を明かしたのでした。

当時の広島は新井貴浩が阪神に去ったばかり。経験のある右打者が不足傾向にありました。緒方自身を見れば度重なる故障、年齢もあり、試合出場数は減っていました。とはいえ、まだ実力はあり、スタメン、代打も任せられる存在。さらに生え抜きとしてのスター性も健在でした。そんなさまざまな要素で球団は緒方を07年以降も戦力として考えていたのでした。

当時の緒方の心境は、なかなか一般人には分からない部分ですが、こんなことを言っていました。

「レギュラーを張っていた選手がそうでなくなってベンチにいるのはつらいものです。そんなのは分かってもらえないかもしれないけど」

しかし球団の意向を受け入れて、結局、それからの3シーズン、緒方は現役を続けたのです。

ここに、他球団とは違う、家族主義、忠誠心というカープならではの特徴を見るのです。

佐賀・鳥栖高で好選手だった緒方。中央ではそれほど有名ではありませんでしたが、学業成績もよく、都内の大学への進学話がありました。しかしカープのスカウトがその潜在能力を評価し、ドラフト3位で入団となりました。

そこから鍛えあげてチームを代表する選手になりました。一流になった99年オフ、FA権を獲得。長嶋茂雄率いる巨人に熱心に誘われたが、結果は広島に残留しました。

「田舎の高校からポッと入って、ここまで育ててもらって。ちょっとマシな選手になったから、じゃあ、巨人行きますわ、っていう訳にいかんでしょう」

そんな話も聞きました。そして引退のタイミングすら球団の意向に従ったのです。

発掘され、自分を磨き、そして力を付けてから、現役を退いてからもチームに尽くす。「広島の権化」というのはそういう意味です。緒方とは、そういう男なのです。