25日に行われた運命のドラフト会議は盛り上がりましたね。1位指名で大阪と兵庫の高校生3人に計11球団が集中する異例の展開。例によってくじ引きによる悲喜こもごももありました。見る側としては楽しめたと思います。いずれにせよ1位も下位指名も勝負はプロに入ってから。次はプレーで、言動で楽しませてほしいものです。

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さてルーキー、特に高卒の場合は多くの場合、プロ生活はファーム、つまり2軍でのスタートになると思います。つまり最初に出会う指導者は2軍監督。その2軍監督を巡って、このほど少し、感動することがありました。

今月19日、日本ハムからある発表がありました。選手、コーチとして15年間所属し、今季はバッテリー兼作戦コーチだった中嶋聡が今季限りで退団するという発表でした。

中嶋は86年のドラフトで阪急ブレーブスから3位指名を受け、プロ入り。オリックスからFAで移籍した西武、横浜を経て、04年から日本ハムでプレー。07年からはバッテリーコーチを兼任し、15年に現役引退。29年間の現役生活はNPBにおける歴代最長記録となったのです。

16年からはGM特別補佐。今季、1軍バッテリー兼作戦コーチに就任。選手、コーチ、フロントとして日本ハムに15年間、支えていました。しかし関係者によると、その中嶋にはある思いがあったといいます。それは「ファームで若い選手を指導してみたい」ということでした。

これはプロ関係者にはよくある願いのよう。まったく同じ考えを中嶋と同い年の広島監督・緒方孝市からも、彼のコーチ時代に聞いたことがあります。

1軍レベルになると指導者は選手にヒントを与える程度になるのが普通です。対してファームはイチからじっくり鍛えて、目指す理想の選手にするという楽しみがあるかのかもしれません。

今回、中嶋はタイミングが合い、古巣でそれを実現させることになったのです。20数年前のオリックス担当時代、彼を取材したこちらもうれしい気持ちがしています。当時はニックネームの「サメ」と呼んでいたことも思い出されます。

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しかし、今回、感動したというのは、そこではありません。それはリリース、つまり発表の日付にまつわるものでした。中嶋の退団が発表されたのは先にも書きましたが10月19日、つまり「10・19」でした。

この世界で「10・19」といえば若い読者でも知っておられるでしょう。88年、仰木彬率いる近鉄バファローズがロッテオリオンズと川崎球場でダブルヘッダーを行った、あの記念日です。

連勝すれば近鉄優勝、1つでも負けるか引き分けで西武が優勝という展開。結局、2試合目が引き分けに終わり、近鉄はあと1歩で優勝を逃したのですが、その劇的な試合展開、さらに途中からテレビ朝日系列で全国中継されたことなどで「伝説の日」となっているのはご存じの通りです。

しかし。その同じ10月19日にそんな試合を横目に野球ファン、特にパ・リーグファンを驚かせる出来事も起こっていたのです。

阪急ブレーブスの身売り発表でした。オリックスに譲渡すると発表されたのがこの日だったのです。その前月9月には南海ホークスがダイエーに譲渡されることが発表されていました。

よりによってパ・リーグの熱いこんな日に…。しかも近鉄が頑張っているのに南海に続いて阪急まで…。古くからの野球ファンは球界はどうなってしまうのかと不安な気持ちになったものです。

そして中嶋です。彼は86年のドラフトで阪急入団、15年まで現役だったため球界では「最後の阪急戦士」と呼ばれています。

「最後の阪急戦士」が、合併球団で変わってしまったとはいえ、名残のある古巣に復帰する。そのキッカケになる退団発表が30年後の「10・19」だったのです。

「その通りです。そういう思いでリリースを19日にしました。阪急がオリックスに譲渡されてからちょうど30年。最後の阪急戦士の復帰にふさわしいか、と思って」

日本ハム関係者は、これについてきっぱりと明かしてくれました。そうだったのか。それを知ったとき、思わず目頭が熱くなってしまいました。寄る年波のせいかもしれませんが…。

あれから30年。球界再編を始め、いろいろなことがありました。それでも野球は楽しい。そんな実感を持たせてくれた日本ハム、中嶋聡、そしてオリックスなのです。