広島の元監督、阿南準郎が天国に召された。阿南が監督を務めた1986年からの3年間、自分は日刊スポーツの広島支局長で赤ヘル番記者だった。
名将・古葉竹識のあとの監督だから、それなりの重圧はあったに違いない。それを感じたくて日南キャンプの初日の夜、厚かましく宿舎ホテルを訪ねた。大阪からやってきた外様記者に対し、阿南は包み隠さずに心境を明かしている。「オレはあくまで浩二(山本)へのつなぎ。それをわきまえている。だから保身に回ることはない。キミは阪神を担当していたんだろう。トラ番は厳しいと聞いている。感じたことを遠慮なく記事にしていいから。お互い、遠慮なくいこうじゃないか」。
こういう監督だった。実にシャープな人だったし、フラットな考えを持つ人だった。シーズン中、試合後の監督室から口論する声が聞こえてきた。声の主は阿南と高橋慶彦だった。チーム方針が不満で、高橋が直訴にやってきた。阿南は当然、1歩も引かない。諭すように話して、論破した。この一部始終を自分は記事にした。翌日、「事実を書けばいい」と阿南はニヤリとした。
1986年にリーグ優勝に導き、あとの2年間もAクラス。そして山本浩二に禅譲…。自分も大阪に戻ることになった。最後、広島市民球場の前の喫茶店「マリーナ」に誘われた。「春のこない冬はないんだから。必ず浩二が明るい春を運んでくれるから」と、3年の大役を終えた。
その時に、こんな話も出た。また阪神担当に戻る僕に、「阪神はこれからも強いだろう。特にチームにしっかりとしたリーダーがいる。これが強みだし、大きいこと。オレが見てきて、岡田という選手は、チームをまとめる力があると感じていた」。
そんなことを思い出す阿南の訃報。阿南が進めた戦い方は、いまの阪神に似通っている。北別府、大野、川口、長富、金石、川端、白武という強力先発陣に、小林誠、清川、津田のリリーフ陣を前面に押し出して戦った。1986年の優勝は引き分け数の多さがキーになったが、勝てなくても、負けない試合を多くつくったからだった。
あれから40年近くを経て、阿南が予言した通り、岡田は監督として戦っている。7月最後のゲームも取り6連勝。巨人との差を詰めた。「ここからは内容より結果よ。もちろんスタイルを変えることはない。阪神は守りの野球。そこを強みに、残り試合、オレの腹は固まった」と明かしている。
これから先、打線を動かすことはよほどのことがない限り、しない。「1、2番は近本、中野。これはもう崩さない」。これまで近本を3番、4番にして打開を図ったが、もうこれからは動かさない。1、2番を固定して、あとは投手陣で守り切る。残り50試合を切り、チームの形は改めて固まった。さあ、祝甲子園誕生100年…、8月1日、一気に巨人3連勝といきますか。実に楽しみなペナントレースになってきた。(敬称略)【内匠宏幸】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「岡田の野球よ」)




