日本ハム大谷翔平投手(23)にあこがれる。半数を超える球団から調査書が届いた佐渡・菊地大稀(たいき)投手(3年)が目標にするのは、今オフのメジャー移籍が確実視される日本の至宝だ。自身もチームでは不動の4番。もっとも打撃に自信があるわけではなく、「日本で一番速いボールを投げるから」と、「投手大谷」が理想像。ただ菊地も、「二刀流」が投手のベースに生きている。

 最初に始めたスポーツは柔道だった。5歳で真野柔道クラブに入り、「黒帯を取るまでやめない」という父正博さん(50)との約束を守り、真野中2年で黒帯を取得した。小学校1年からは平日は柔道、週末は野球部で体を動かす「二刀流」を続けた。

 柔道の腕前も、佐渡の同学年の間では無敵を誇った。佐渡大会では保育園から小5まで、7年連続で個人戦に優勝。多い年は同学年から約30人が参加しても、「得意技」で投げ飛ばし王座を守った。「背負い投げしか練習しなかった」と、決め技の約8割が背負い投げ絡みだったという。

 菊地は「技のかけ方と投球が似ている。フォームがいいと言われるのも、背負い投げの動きを体が覚えているからでは」と分析する。家族の中でも柔道は身近な存在で、兄駿太さん(22=山梨学院大4年)は大学で柔道サークルに入り、正博さんは子供と一緒に柔道を始め、40歳で黒帯になった。そして柔道を始めた菊地は、「ぜんそくで入院したこともあったが、風邪をひかなくなり、体が強くなった」(正博さん)と、健康体に育った。ただ、野球へのエンジンが掛かるまでには、時間を要した。(つづく)【中島正好】