バットのカキーンという響きに、スピーカーからなじみ深い音色が流れる。2月下旬、3月19日開幕のセンバツに出場する天理(奈良)の練習を訪れたときだ。「Our Boys Will Shine Tonight」(セントポール)などの旋律が選手を包み込んでいた。

音は力に変わる。この日から、これらの曲を練習のBGMにした。中村良二監督(52)は「気持ちをいい意味で乗せる。もうそういう時期にきていい」と説明し、さらに明かす。「これは、ついこないだ、高校の吹奏楽部が演奏したのをわざわざ録音してくれたんです」。吹奏楽部が奏でた音は、球児へのエールだ。

日本高野連は選抜で観客入場の方針だが、2月中旬に学校応援のブラスバンド演奏禁止が決まった。中村監督は「(甲子園に)ステレオでも持って行って流すだけでもできればいいのですが、かけ声も入ったりするからよくないんでしょうね」と残念そうに話した。

音を力に変える。天理は甲子園の本番前、音楽が流れるなか、走者をつけてノックを行う。リラックスするためではない。「ワンプレーに(場内は歓声で)ワッとなる。声の指示は絶対に届かない。言葉に出さずにジェスチャーだけの指示で伝え合う。わざと音楽をかけて声を消して」と指揮官。打球は左中間、右中間へ。内野手は走者の動きを見て、二塁送球なら外野手に指で「2」を作る。三塁なら「3」だ。観衆のなかでの野球に慣れない外野と内野のカットマンは連係して、瞬時の判断力を磨く。

名門校の「Vメニュー」だろう。実は中村監督自身の経験を生かした練習だ。2年春のセンバツで甲子園出場。思い知ったことがあった。「初めて歓声で指示が通らない経験をしました」。主将に就いた3年時の86年夏、当時の橋本武徳監督に訴えた。「音楽をかけて、やらせてください」。大音量のBGMが流れるなか、カットプレーの練習を繰り返し、同校の甲子園初優勝につなげた。

中村監督は近鉄、阪神でプレーした。球場が生む音の素晴らしさも怖さも知っている。勇ましいメロディーが響くグラウンドで言った。「吹奏楽部に『頑張ってくれ』って言ってもらったんです」。コロナの傷は絶えない。それでも、甲子園に音が戻ってくるのは確かだ。球児が苦しみながらも前に歩める、春が来る。