嘉永5年創立の伝統校、耐久(和歌山)に初出場の吉報が届いた。
ペリー来航1年前、1852年(嘉永5)に稽古場(寺子屋)として創設された。津波で被災後の1866年(慶応2)に「未来永劫(えいごう)続くように」と願いをこめて「耐久社」の校名となった。
自身も耐久OBの井原正善監督(39)はナインの前に立ち、意気込みを語ろうとすると広川町と同校の湯浅町で花火が打ち上がった。再び話を始めると、今度は出場決定を告げる町内放送が。苦笑いの監督に一同が笑みをこぼす一幕があった。「こんな花火(の音)は初めて聞きました。うれしさとほっとした気持ち。甲子園で勝っていい結果を残したい」。しみじみとこみ上げた喜びから一転、勝負を見据えた。「田舎の公立校でも捨てたもんじゃないと。それを感じてもらえればいい」。
昨秋、近畿大会4強入りでセンバツ出場を確実にし監督はナインへ「耐久の伝統を作った。最初の伝統だ」と告げた。その言葉はエースで最速142キロ右腕の冷水(しみず)孝輔投手(2年)も歴史とともに受け止める。「和歌山1の投手になると中学から目指していた。近畿大会以上の投球はしたいが、自分の力は限られている。その中でいい投球をしたい。やるからには自分の名前も残したい」。時を同じくして冷水の兄も全国デビューで中部学院大(岐阜)の投手として秋の神宮大会に登板。この半年間で、兄弟同時全国デビューを決めた。兄の冷水秀輔さん(20)は喜びを大いに語った。
「OBの元主将として、家族としてとてもうれしい気持ちでいっぱいです! 自分は甲子園という舞台には届きませんでしたが、兄は神宮、弟は甲子園と全国の舞台立つのは、なかなかないです。ここまで野球を続けさせてくれた両親には感謝しかありません。後悔のないよう孝輔らしく甲子園では楽しく、1勝でも多く勝ち進んでほしいです。応援してもらっているOBの方々や地域の方々に感謝だけは忘れず、悔いなく戦ってほしい。おめでとう!」
170年の時を経て、注目を浴びる時が来た。井原監督は「よく(校名の)耐久の名の通り、耐え忍ぶって意味で捉えられますけどね」とも明かす。「これを新たなスタートにしたい。秋よりも力強さを付け加えられたら」と力いっぱい意気込んだ。【中島麗】

