マリナーズのイチロー外野手(45)が引退を発表した。
イチローの歩みを写真で振り返る。
イチローの歩み・高校時代
愛工大名電で春夏2度の甲子園出場
- 90年8月、天理戦で中前打を放つ愛工大名電・鈴木一朗
- 第72回全国高校野球選手権 松久保(左)の背中にセミがとまり大笑いする愛工大名電・鈴木一朗(イチロー)=1990年8月
- 91年3月、センバツで松商学園戦に登板する愛工大名電の鈴木
イチローの歩み・NPB時代
91年11月22日 オリックスからドラフト4位で指名
- オリックスの入団会見に出席したイチロー(91年撮影)
- 入団会見を行うイチロー(91年撮影)
92年7月11日 ダイエー戦で1軍デビュー。初打席は二ゴロ
同7月12日 ダイエー戦に9番左翼で先発。プロ初安打
- イチローがプロ初安打
同7月17日 ジュニアオールスターの8回、代打で決勝弾を放ちMVP
- 8回に代打で登場した鈴木一朗(後のイチロー)は右翼中段に本塁打を放つ (1992年7月17日)
同7月17日 プロ初本塁打は野茂から
- 野茂英雄(手前)から初本塁打を放ち、ダイヤモンドを一周するイチロー1993年 野茂英雄写真館 イチロー写真館
94年4月7日 登録名を「鈴木一朗」から「イチロー」に変更と発表
同9月20日 プロ野球史上初のシーズン200安打を達成
- オリックス・イチローが球界初の年間200本安打達成
95年9月19日 「がんばろう KOBE」を合言葉に初のリーグ優勝
- 優勝を決めたオリックス・イチローは祝賀会場で仰木彬監督を抱きしめた(撮影・河南真一)
- 95年9月19日、リーグ優勝を決めビールをかけ合うイチロー
パ・リーグ初の全イニング出場の首位打者。首位打者、打点王、盗塁王の「3冠」は史上初
96年10月24日 巨人を破り、初の日本一
- 96年9月 イチローのサヨナラ安打でオリックスはリーグ優勝を決めた
- 巨人を破って日本一となり、祝勝会で酒樽に投げ込まれ恍惚の表情のイチロー(オリックス)
96年 オールスター第2戦で登板。全セの野村監督は松井に代打高津を送り、結果は遊ゴロ
- 96年7月、オールスター第2戦全パ-全セでヤクルト・高津を相手に投球するオリックス・イチロー
99年 名勝負!平成の怪物松坂と対戦
初対決は三振も、通算100号は松坂から
- イチローは松坂大輔の投じた外角高めのストレートに空振り三振(1999年5月16日)
- オリックス対西武 9回裏オリックス無死、イチローは松坂大輔からメモリアル100号本塁打を放つ 1999/07/06
99年 史上最速となる通算1000安打を達成
- 記念の花束を高々と掲げるオリックス・イチロー
- オリックス対日本ハム オリックス・イチローが通算1000本安打を達成 表彰 メダルと花束=1999年4月30日、GS神戸イチロー写真館(鈴木一朗写真館) プロ通算1000安打(パリーグネガ♯175)
00年10月 ポスティングでのメジャー挑戦を表明
- オリックスイチロー米大リーグ挑戦会見
- 記者会見で米大リーグを目指すことを表明するオリックスのイチロー
本拠地最終戦の西武戦で途中出場、これが日本最後951試合目の出場
- イチローの日本での最終戦を観戦するために右翼観客席に詰め掛けたファン
- 最終戦を終えあいさつする仰木監督の後方で笑顔を見せるイチロー(左)と田口
イチローの代名詞“振り子打法”
- オリックス時代のイチローの打撃フォーム、振り子打法
- オリックス時代のイチロー打撃フォーム連続写真
- オリックス・イチロー打撃フォーム構え
プロ野球を彩ったゴジラ松井とイチロー
- 入団2年目のオールスターでイチロー(左)と握手を交わす松井秀喜。二人はともにオールスター新人賞を獲得
- 96年度プロ野球コンベンション MVPを獲得した巨人松井秀喜(左)とオリックスのイチロー
守備、走塁でも魅了したイチロー
- イチローが一塁走者吉岡雄二を三塁で刺しゲームセット
- イチロー返球
- 三塁盗塁を決めるイチロー
◆イチロー(本名・鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年(昭48)10月22日、愛知県生まれ。愛工大名電高では投手で甲子園に2度出場。91年ドラフト4位でオリックス入団。94年に史上初めてシーズン200安打に到達(210安打)。00年まで7年連続首位打者。00年オフにポスティング制度でマリナーズ移籍。新人で首位打者、盗塁王とMVPに輝いた。04年に大リーグ新記録の262安打を放ち、2度目の首位打者。大リーグでは01~10年に史上初の10年連続200安打。ゴールドグラブ賞、球宴出場各10度。12年7月にマイナー2選手とのトレードでヤンキース移籍。15~17年はマーリンズでプレーし、18年3月にマリナーズへ復帰。米通算3089安打(20日現在)は米国以外の出身選手で最多。180センチ、77キロ。右投げ左打ち。家族は弓子夫人。