阪神ドラフト1位・近本光司外野手(24=大阪ガス)の出身校、兵庫県立社高等学校・森脇忠之校長(61)が26日、淡路市立東浦中学から勧誘した際の秘話を明かした。開幕スタメンを手中に収めた新人に最低20盗塁の期待をかけるなどエールを送った。【取材・構成=寺尾博和編集委員】

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近本のルーツをたどっていく先にいたのは社高校の校長、森脇だった。近本少年を見はじめたのは、淡路島にある東浦中3年の春過ぎだ。

森脇 近本という好選手がいるという情報は、中2のときに耳にしていました。中3になるのを待って東浦中にごあいさつにうかがった。当時は野球部監督でしたが、橋本(智稔)君(現兵庫県立農業高・教頭)にバトンを渡すのが決まっていた。でも社高で育てたい思いが強く、近本を教えていた巽(史明)先生とグラウンドでお会いした。素晴らしい指導者でした。

ただ、公立の社高は、私学と違って入学を確約できるはずもなく、「誠意」を示すしかなかった。

森脇 非常にポテンシャルが高いので、いろいろな高校から声が掛かったと思います。うちには体育科があって、校区外の生徒には寮も用意され、ちゃんとスポーツ栄養士がついて食生活に不安もない、夜はちゃんと学習時間をとることも説明しました。

その東浦中グラウンドに投手の近本がいた。捕手は早実・清宮幸太郎(日本ハム)に抜かれるまで、高校通算107本塁打の最多記録を保持した山本大貴(豊浦中-神港学園-JR西日本)だった。

森脇 最初は、きれいなフォームで投げるなという印象でした。中学で投手といったら投打に万能です。いまどきの野球だけをやってきた子は前回りも、後ろ回りもできないタイプが多い。でも、近本を見た直感は、いまどきの雰囲気でなく、とんぼ返りでもするようで、砂場を走って、木登り、田んぼのガタガタのところも難なく走り抜けてしまう、体の動きに野性味を感じました。

高3になった近本は、体育科の約80人が生活する東雲寮の寮長にも選ばれる。

森脇 社を選んでくれたのはうれしかった。でも大学でやれれば御の字と思っていました。基本的に寮則を守りながらの自主運営です。6時起床、体操、掃除、朝ご飯の用意から後始末までして、朝練にでる。生活そのものからきちっとして、ずっと優等生でした。派手さはないが、会社に貢献できる人材であるのは、今でも断言できます。社高出身の辰己(楽天)が入団会見で「ぼくはまず楽天カードを作ります」というウイットなことは言えないかもしれませんが(笑い)。

大阪ガスを経て、阪神入りした。

森脇 例えば、うちの弟(浩司氏)などは、指導者としてプロの世界に残れましたが、横綱(監督)になってしまうと、力が落ちると引退勧告です。そうでないからなかなか日なたには出られないのですが、やはり日の目を浴びないことにはいけません。

開幕から「2番中堅」での先発出場が予想される。

森脇 日本人が好きな「2番」の位置付けでしょうね。オリックス時代の糸井をキャンプで見たとき、走っている際の排気量に驚いた。近本はベンツの糸井とは違う。体に合った脚力で走り方が軽いのは力が抜けている証拠です。わたしが高校時代に戦った東洋大姫路出身で元阪急の弓岡敬二郎のようなイメージの走り方。足で存在感をアピールできるレベルになって、願望も込めて20盗塁はしてほしい。結果をおそれず、勇気ひとつだと思います。(敬称略)

◆森脇忠之(もりわき・ただゆき)1958年(昭33)2月13日、兵庫県西脇市出身。社高から大体大を経て、社高東条分校に赴任。82年から7年間、野球部監督。その後、小野高に勤務。98年母校に戻って、09年まで野球部監督として指導。04年センバツで4強入りし「公立の雄」として脚光を浴びる。15年春から現職。実弟は、近鉄、広島、南海、ダイエーでプレーした、元オリックス監督・浩司氏。