投球イップスを克服した立命大・元氏玲仁外野手(4年=龍谷大平安)がサプライズの大学初登板を果たした。8回2死から登場すると、内角140キロ見逃し、外角147キロ空振り、高め140キロ空振りと3球で右打者を片付けた。

「久しぶりでした。後ろを向いたらみんなが守っていて。小学生から投げていた、わかさ(スタジアム)でもありましたし」

「外野手」とは思えない迫力満点のマウンド。打者1人の限定登板を終えベンチに戻ると、仲間たちの手荒い祝福を受けた。同級生で同じ左腕の坂本裕哉がDeNAにドラフト2位指名された翌日。その坂本のこの日の最速145キロを上回った。147キロはなんと自己最速だ。「坂本が指名されたので気合が入っていました」と笑った。

龍谷大平安2年時にヤクルト高橋との2枚看板でセンバツ優勝。直後に悪夢が待っていた。本人の回想によると、絶好調だった2年春の近畿大会で一塁に悪送球したことをきっかけに「イップスになりました」。フォームが崩れ、修正できないままズルズルと時が過ぎていった。

大学には投手として入ったが、まともに投げられず実戦登板のないまま1年秋に野手転向を受け入れた。外野手として一時はレギュラーもつかんだ。最上級生で副主将になったが出場機会は減った。ベンチで声出しや指示、助言をするのが主な仕事になった。この試合でもイニング間の円陣の中心に入っていた。

「奇跡」が起きたのはこの夏だ。外野から遠投を続けるうちに、いつしかイップスは治っていた。今年8月の京都トーナメントで後藤昇監督の指示で大学初登板。ほぼ練習なしで145キロを出した。

オープン戦でも1度登板し、紅白戦などでも好投。後藤監督は「ベンチで頑張ってきた4年生に最後、何とか報いたかった。彼の努力です。4年間かけてやっと投げられるようになった」とリーグ最終節での電撃マウンドが実現した。

「今は失うものはないので、楽しく投げさせてもらいました」と感謝。卒業後に野球を続けることもためらっていたが、奇跡の復活により軟式の企業チームでのプレー続行が決まった。「投手」として評価された。とっくにあきらめていたプロ野球への気持ちも「軟式だけど続けていたらないこともないので」と再び頭をもたげてきた。

「自分で伸びしろを感じている。まだまだいける。もう少しやれば150キロは出ると思う。野球が好きだったから4年間気持ちが折れることはなかった。自分の実力を受け止められたし、モチベーションは下がらなかった」。夢にも思わなかった形で終わろうとしている激動の大学生活を振り返った。