かつてプロの世界で活躍した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」。今回は元近鉄投手の高柳出己氏(55)です。現在は大阪・羽曳野市内で接骨院と子供たちに野球を教えるスポーツアカデミーなどを運営しながら今秋、近畿学生リーグで優勝した大阪市立大学で指導にあたる同氏に、第2の人生を切り開く秘訣(ひけつ)を聞きました。【聞き手・安藤宏樹】

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-プロ野球の世界を離れて長い時間が過ぎました。現在の状況を教えてください。

高柳氏 接骨院と少年野球のスポーツアカデミーを始めて20年ほどでしょうか。数年前から就労支援の事業所も運営し、仕事の合間に大阪市立大学で指導もさせてもらっています。

-大阪市立大学は今秋の近畿学生リーグで4季ぶりの優勝。残念ながら明治神宮大会への出場権は逃しましたが、文武両道を掲げる同連盟の中でも強豪チームに成長中です。

高柳氏 3年ほど前に要請があり、最初はお手伝い程度だったのですが、学生との距離が近くなるに従ってかかわり方が濃密になってきました。立場はボランティアですが、いまではすっかり虜(とりこ)になっています。長年、子供たちに教えていたこともベースになっているのでしょうか。吸収力の高い学生が多いのでコーチングのしがいもあり、かなりのエネルギーを費やしています。

-子供たちに教えるスポーツアカデミーは接骨院と同時に開業。32歳で引退された時点で現在に至る事業プランはあったのですか。

高柳氏 引退してから2年ほど京都の軟式野球チームでコーチをさせていただきました。自分にとってはこの時間をいただいたことが大きな転機になったと思います。現役を辞めた直後はまったくの白紙状態。その時点で子供2人がいました。蓄えもほとんどありません。さあ、どうしようかと…。しばらくは自宅のリビングでボーッと1日を過ごす、いわば引きこもりのような日々が続きました。そんなときに声をかけていただき、将来に向けた自分の考え、目標を整理する時間ができたのです。

-その間に現在の事業を立ち上げるプランが固まった。

高柳氏 最初は教員免許を取得しようかと考え、通信制の大学で勉強もしていたのですが、ちょうどそのころ接骨院を経営されている方に出会い、現在の道につながりました。人材も派遣するから独立してやってみないか、と…。後に自分も柔道整復師の資格を取得したのですが、現在の物件をたまたま車で通りかかったときに見つけて、すぐに契約しました。子供たちに野球を教えるアカデミーもセットにして、というのが自分としては絶対条件でしたのでそれに適した物件に初めて通った道で出会ったというのも運命的だったように思います。

-事業はすぐに軌道に乗ったのですか。

高柳氏 接骨院はおかげさまで開業時から順調です。当時はまだ周辺にそういった施設が少なかったこともあるかもしれません。運もよかったのだと思います。野球教室は近隣の少年チームなどに出向き、チラシを配ったりして徐々に広がっていきました。クラブチームの所属する子供たちは週末に練習や試合がありますが、平日に練習する機会が少ないため、ニーズがあったのかもしれません。

-巨人に育成選手として入団し、今季ルーキーながら支配下登録され1軍デビューした山下航汰外野手(19)や日本の高校に進学せずに昨年、米大リーグ・ロイヤルズとマイナー契約した結城海斗投手(17)などスポーツアカデミーからは有望選手が多く巣立っています。引退からわずか数年で新たな人生の設計図が完成し、それを着実に実行されているわけですが、そのポイントはどこにあったと思いますか。

高柳氏 先ほども言いましたが、考える時間をいただいたことが大きかった。焦って何か手っ取り早い事業を始めていたら失敗していた可能性は高いと思います。さらにこの時間をいただいたことで変なプライドを捨てることもできました。プロ野球選手、とりわけ投手はプライドが高いものです。もちろんプロの投手として成功するためのプライドは必要ですが、つまらないプライドは不必要です。一般社会で生きていくためにはなおさらです。困っているときはお願いする。頭を下げる。そうでなければだれも助けてくれません。こういったことが学べたことも大きかったと思います。

-88年10月19日。伝説となったロッテとのシーズン最終戦、ダブルヘッダー第2試合でルーキーながら先発に起用されました。7回無死、1点差に迫られた場面で降板したわけですが、リリーフした吉井が同点を許し、その後もエース阿波野が高沢に痛恨被弾を浴びるなど球史に残る壮絶な展開の末、時間切れ引き分けで優勝を逃すことになります。

高柳氏 故障ばかりの野球生活でしたが、あの試合に投げさせてもらったということが唯一無二の思い出です。残念ながら勝つことは出来なかったのですが、だからこそ今も語り継がれていると思います。プロ野球人生に悔いはないです。

-ご長男は中学教諭。長女愛実さんはタレントとして活躍中。引退後に生まれた二女萌さんはVリーグ岡山シーガルズでプレーされています。さらに高校生と小学生の男の子も現在は野球で頑張っているそうですね。奥様のご苦労も大変だったと思います。今後の計画などあれば教えてください。

高柳氏 一番下の男の子がまだ小学生ですからまだまだ頑張らないといけません。大学で学生たちと野球する時間も大切にしていければと…。いずれにしても家族の支えがあってここまで歩んでくることができました。それなりに年を重ねましたので、パワーは衰えてますが、チャンスがあれば事業も野球もまだまだ挑戦していきたいと考えています。

◆高柳出己(たかやなぎ・いずみ)1964年6月2日生まれ。埼玉県出身。春日部工、日本通運を経て87年ドラフト1位で近鉄入団。1年目から先発ローテーション入りし6勝をマーク。96年にロッテ移籍し同年限りで引退。通算119試合に登板、29勝30敗、防御率4・27。右投げ右打ち。現在は大阪府羽曳野市で接骨院やスポーツアカデミーを運営する「株式会社 高柳」代表取締役。大阪市立大学硬式野球部で投手コーチも務める。