投手が口にするボールの「キレ」。分かるようで分かりにくい究極のテーマに挑戦する男たちがいる。発売から約3カ月で入荷1万本を超え、野球界に新たな風を吹き込む、投げるだけで格段にキレがUPするギア「キレダス」。開発メンバーの1人、津口竜一(41)の挑戦を中心に、令和のガリレオたちの熱い思いに潜入する。(敬称略)【取材・構成=久保賢吾】

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「異色の秀才」。津口の野球人生は、こんな枕詞(まくらことば)とともにあった。

中学で野球部に入るつもりが、親に「北野高校を目指してほしい」と諭された。超がつく進学校に入るため、勉強に集中した。晴れて合格、いざ始めたものの挫折が待っていた。1学年下に、のちに京大のエースを務める河村浩輔が入学。最速118キロの左腕に公式戦での出番はなかった。引退と同時に野球に区切りをつけ、1年間の浪人。親戚が弁護士だったことから、同じ道を目指した。

千葉大法政経学部に入学した。「楽しそう」の理由でイベントサークルへ。アルバイトをしながら大学生活を楽しむつもりだったけど…野球に勉強に打ち込んだ高校時代と比べれば、刺激はなかった。

衝動にかられ、硬式野球部の練習を見学した。夏前だから、約1年半ぶりの野球だ。高校の先輩でもある柴田賢志にブルペンに誘われた。「投げるか?」。促されるまま投じた瞬間、感じたことのない感覚が指先へ伝わった。スピードガン表示は140キロ、最速を22キロも更新。突然モラトリアムに終止符が打たれた、忘れられない1球だ。

変化したといえば、3年夏の引退から体重が56キロから25キロ増の81キロに増えたことくらい。「自分でも謎なんですけど…浪人中は運動もしてなかったし、ただの暴飲暴食」と苦笑した。あれよと1年秋のリーグ戦でデビュー。2年秋には主戦投手になった。

リベラルな千葉大野球部の空気を吸って、ぐんぐん伸びた。監督はおらず、チームの練習は週に3、4回。「お金もなかったから」と週5回はカラオケ店でアルバイトした。登板機会のない高校時代はひたすら走り込み、大学ではとにかく遠投をした。「自分で考えながら」メニューを組み、2年秋に奪三振王を獲得。最速は148キロまで伸びても「自分でも理由はわからない」のだから面白い。

社会人のTDKに進み、2年目にはドラフト候補に挙がった。元巨人の野間口貴彦が目玉だったその年には、日刊スポーツの候補表に名を連ねている。プロ入りは逃すも06年には都市対抗優勝も経験。7年間プレーし、引退後3年間は本社で社業に専念した。

14年に自らの会社「スマイルプランナー」を設立。野球では「キレダス」の製作に参加し、教育では野球用語を使った英語の教材を作製した。未来ある子供たちに向け、新たなコンテンツを提供する。字面の経歴を見ればエリートでも「野球も勉強も中途半端だった」。自戒の念から、文武両面での貢献が今の夢だ。

曲がりくねった文武両道。だから柔軟な発想ができる。アイデアマンのルーツをたどると、わだちのない道を左腕で切り開いてきた味わい深い歩みがあった。

○…キレダスは使ったその日から感覚の変化を感じる人も多く、購入者からはテクニカルピッチ(SSK社)による計測で球速アップや回転数の増加など、目に見える変化の声が寄せられる。藤田によれば、正しいフォームでなければキレダスを地面にたたきつけるケースなどがみられ、15メートルほど投げられるようになれば、フォームにも変化が表れるという。津口は「自分のポテンシャルを引き出してくれる。投げる感覚をつかんでほしい」と話した。

◆津口竜一(つぐち・りゅういち)1979年(昭54)5月22日生まれ、大阪市出身。小学3年でソフトボールを始め、中学では陸上部に所属し、走り高跳びで大阪市大会で2位。北野高入学を機に野球を始めた。千葉大2年秋から5季連続で奪三振王を獲得し、社会人野球のTDKに入社。7年間プレーし、3年間社業に専念した後に退社。14年に「株式会社スマイルプランナー」を設立。