恩師に勝利を届けられなかった。日本製鉄鹿島(鹿嶋市)の中島彰一監督(54)は、取手二(茨城)出身。24日に死去した木内幸男氏から指導を受けた。訃報から一夜明け、恩返しの勝利を誓ったが、初戦敗退となった。

中島監督は「木内監督は絶対に見ている。みっともない試合はできない」と闘志を燃やして試合に臨んだ。絶対に負けられない。最大4点差をつけられても、粘った。最後は1点差の惜敗。「勝敗は別として諦めない姿勢を見せられたんじゃないかなと思います」と静かに振り返った。

先発の飯田晴海投手(25=東洋大)は、常総学院(茨城)出身。同じく名将の下で学んだ。高1夏の大会終了後に木内氏は監督を退任。飯田は最後の教え子の1人だった。中島監督は「木内監督がつないでくれた縁。何も言わずに頑張ろうなと話した」とあえて触れずに送り出したが、2回3分の2を3失点と悔しい登板となった。

84年、中島監督は高3夏の甲子園決勝で「KKコンビ」擁するPL学園(大阪)と対戦。延長10回に決勝3ランを放ち、優勝の立役者となった。その時の木内氏の笑顔が一番の思い出だ。「情を見せる方ではない。高校時代は人間らしく接してもらったことはなかったが、夏の大会では大人扱いして乗せてくれた。すごい監督だなと思った」。木内マジックを受け継ぎ、来年こそは優勝に導く。【湯本勝大】

▽日本製鉄鹿島・飯田晴海投手(常総学院で木内氏から指導を受け)「常総野球は考える野球。短い期間だったが、自分の原点になっている。木内監督の野球をこれからも継承していけたらと思います」