プロ野球選手にとって、チームのピンチは時に、自分のチャンスにもなる。ロッテの育成選手・植田将太捕手(23)は今まさに、そこに直面している。1軍正捕手の田村をはじめ捕手陣に故障や療養が続き、2軍のイースタン・リーグでは30日現在、植田に全てが任されている状況だ。支配下選手登録のため、絶対に逃せないアピールの場。オンラインインタビューで思いを尋ねた。【金子真仁】
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植田の精悍(せいかん)な顔つきが、よりいっそうたくましく見える。
「やっぱり試合に出させてもらっている責任感というか、勝ちに対する責任感が今までと違うというか、感じるようになってきましたね」
オンライン取材を行った5月18日時点で、4試合連続でスタメンマスクをかぶっていた。疲れた表情は見せない。いじられ役で、チームの元気印だ。
「去年のほうが試合後の疲労感とかはあったんですけど、今年はまだ。体力的にも少しは上がってきているのはあって。もちろんいろいろ頭も使うんで、気疲れじゃないですけど、考えることが多くて疲れるというのはありますね」
1軍のレギュラー田村をはじめ、捕手に故障者が相次いだ。このオンライン取材時点では2軍では宗接と植田がマスクをかぶっていたが、直後に柿沼が療養に入り、宗接が1軍に緊急昇格。植田に任されるものはさらに大きくなった。
一方で、この上ない機会にもなった。たった1つしかない捕手のポジション。大卒で育成選手として契約した植田にとって、2軍でのスタメン定着は今季最大のテーマでもあった。
「ここでチャンスをつかまないといけないなというのは、強く思ってますね。2軍で目立って結果を残して、なんとか支配下になれるようにやっていきたいですね」
捕手を始めたのは小学5年生の時だった。
「防具とかつけてて、ミットも人と違うじゃないですか。そういうのでかっこいいなと思って」
大阪・大東市生まれ。高校野球の名門・大阪桐蔭には自転車で10~15分ほど。中学時代にプレーした生駒ボーイズも、大阪桐蔭のグラウンドの近所で練習していた。「TOIN」にあこがれる仲間も多かった。
「年上のいとこが同じ中学から慶応に推薦入試で入って。主将も務めて。いとこが行ったのがきっかけで僕も目指すようになりました」
願い通りに慶応高、慶大へ進み、プロ野球選手になった。19年の育成ドラフト2位。慶大時代はリーグ戦通算わずか1安打。同じ捕手にライバル郡司裕也(中日)がいた。19年春には右肘のトミー・ジョン手術を受けた。プロ入り時点ではまだリハビリ中だった。
「野球は続けたくて。ひじが痛いのが悩みだったんですけど、3年の冬くらいには痛み止めの注射も効かなくて、セカンドスローも届かなくなってしまって、病院でも手術しないと痛みから離れられないと言われて。まずはヒジを治してから、万全な態勢で臨みたかったです」
周囲には就職活動に奔走する仲間もいた。でも。
「やれるうちはやりたい。野球、好きなので。大学でも郡司が試合に出てて不完全燃焼でしたし、悔しい思いの方が強かったので、まだまだ上で活躍して見返してやろうくらいの気持ちでやっていました」
右肘の状態も本来に戻ったところで、アピールの場が到来した。30日現在、27試合に出場。自慢のスローイングで盗塁阻止率も5割を誇る(被企図数18)。
「セカンドスロー、盗塁阻止率の部分と、ワンバウンドを止めるブロッキングは強みにしていきたいです。まずは安定感、信頼感のある守備ができるように。プラスアルファで打撃のほうで、いいところで仕事ができたら」
13安打で10打点。存在感は見せつつも、打率は2割に届かない。
「一番足りないのは打撃ですね。何か打撃で特長というか、何かこれは絶対できることを。走者は絶対進めるとか、アウトのなり方とか。去年はただ思い切り振って三振、凡打の感じだったんですけど、なんとかチームにいい影響を与えられるような仕事をできたらと思っています」
巡ってきた勝負の場に、全力を尽くす。