遊撃手のレギュラーとしてチームに新風を吹かせている阪神ドラフト6位中野拓夢内野手(24)の東北福祉大時代の恩師・大塚光二監督(53)が大学時代の教え子を語った。1学年下で、同大学で一緒にプレーした矢野監督と中野の性格が似ているとも話した。【取材、構成=石橋隆雄】

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中野が東北福祉大1年だった15年7月から大塚監督が就任した。当時を振り返る。「1、2年の時は言うことを聞かない子でしたね。自分の野球観があるので。突然、派手なプレーをやってみたりしたので『そんなプレーはいらんやろ』と。でも、その時にこちらからああしろ、こうしろと堅くやっていたら、あいつは今のようにはなっていないと思いますよ」。型にはめない指導方針で、伸び伸びとした環境をつくった。失策を恐れず広い守備範囲を積極的に守る今のスタイルにつながった。

1年秋のリーグ戦終了後に大塚監督から両打ちを勧められた時は、可能性を広げられると素直に聞き、ティー打撃で左300、右200スイングと猛練習で振り込んだ。「もともと、ものすごく練習する子なので。器用だし当時は左投手を苦にしていたこともあった」。最終的には左打ちに専念したが、練習の虫の中野らしい話だ。

大塚監督が学生時代、東北福祉大の同期には元横浜佐々木、1学年下には阪神矢野監督、2学年下には阪神金本前監督らがいた。大塚監督は「矢野は頭がいい。真面目。騒ぐタイプじゃない。性格的には拓(中野)と似ているんじゃないかな。何となくだけど。明るくて。野球をよく知っていて、羽目を外さない」と、2人の姿をダブらせる。中野の性格については「ちょっとおちゃめなところもあるんですけど、でも、自己表現はあまりうまくない方だと思います。あとは慎重ですね。でも根性はあった」と話す。

中野が3年の時は1年の元山(現ヤクルト)を遊撃で使うために二塁へコンバート。「拓は遊撃手にこだわりがあった。なぜならプロを目指したいから。でも2人とも使うために拓の方が器用だから納得してもらった」。4年生の18年大学選手権ではその二遊間で日本一を獲得。最後のウイニングボールとなった飛球を中野は捕球し、バンザイしながらマウンド上の歓喜の輪に飛び込んだ。

この14年ぶり3度目の日本一で東北福祉大グラウンドは人工芝に生まれ変わった。だが、中野の時代はイレギュラーもある土のグラウンドで鍛えられた。当時もプロからの誘いはあったが、育成か支配下なら7位、8位という評価だった。大塚監督は「面接して『今プロは厳しい』と話していたので、だったら2年間鍛えてプロにいきなさいと送り出した。すべて伸びましたよね。三菱自動車岡崎の野波(尚伸)監督(49)に感謝ですよね。さらに2年間土のグラウンドで鍛えられて」。2年後の指名は6位だったが、首位阪神の正遊撃手として躍動している。

「なかなか若い選手、ルーキーを大量には使いにくい中、矢野は本当にうまく(チームを)まわしている」。失敗を恐れずチャレンジする矢野野球に中野の積極的スタイルがはまった。「今年は動画中継で見るのが楽しみなんです。あとはコロナが収まって5万人の前で地に足を着けてプレーできるかですね」。最後は元プロらしい心配をしていた。【石橋隆雄】

◆大塚光二(おおつか・こうじ)1967年(昭42)8月26日、神戸市生まれ。育英から東北福祉大へ。89年ドラフト3位で西武に入団。通算466試合、打率2割5分8厘、7本塁打、70打点、15盗塁。01年限りで現役を引退。その後は解説者、13年から2年間日本ハムのコーチなどを務めた。15年1月に学生野球資格回復認定され、同年7月から母校・東北福祉大の監督に就任した。180センチ、85キロ。右投げ左打ち。

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