西武内海哲也投手(40)がマウンドに別れを告げた。楽天23回戦(ベルーナドーム)に先発。引退登板で打者1人、山崎を二ゴロに仕留めた。変化球のサインには首を振り、5球全球ストレート勝負。チームメート1人1人と握手を交わした。感情がこみ上げる中、ベンチに戻った。西武、巨人のユニホームを着た人で埋まる2万7475人の万雷の拍手に包まれて、深々とお辞儀した。試合後のセレモニーでは、お世話になった人への感謝をスピーチに込めた。現役生活19年は「支えで活力。全て」という家族の存在が大きな力になった。その最愛の妻や4人の子供たちが気持ちを込めた直筆の手紙を寄せた。パパおつかれさま-。

<引退会見一問一答>

-引退の一番の理由は

ここ数年、1軍の登板機会も少なくなった。昔みたいに絶対に抑えられる自信が少しずつなくなってきた。そういう気持ちでマウンドに立ってもやっぱり違うなと。今年、特に思った。

-最初に伝えたのは

家族。伝えた時は泣いてたが、すぐ受け入れてくれた。家族がいなければ、ここまでやれていない。支えで活力。全てだった。

-思い出すこと

ジャイアンツでは優勝したり、最多勝を取れたり、叱咤(しった)されたりいろんな思い出がある。堀内監督にはどうしようもない投球をしても、使っていただいた。1軍で活躍する土台をつくっていただいた。原監督には大事な場面を任せていただいた。ライオンズでは受け入れていただき、一員になれた。もっと早くユニホームを脱ぎなさいと言われてもおかしくない状況だった。(高橋)由伸さんと辻監督の時は思うような結果を出せず、本当に悔しいが、感謝している。

-ベストピッチ

長嶋さんと松井さんの国民栄誉賞授与式での東京ドームの登板(13年5月5日広島戦、8回4安打無失点)が一番思い出される。あの時は絶対に負けてはいけない試合で緊張した。

-2度の最多勝

入団時から150キロの真っすぐも、千賀投手のようなフォークがあるわけでもない。本当に普通の投手だったと思うが、いろんな方に教えてもらい、少しずつ力を付けていけた。それが実った結果の最多勝。決して速くない真っすぐだったが、本格派左腕と自分に言い聞かせ、真っすぐを生かせる練習をしてきた。阿部さんがうまくリードしてくださった。そういうのを積み重ね、投球術、打者を抑える術を少しずつ学んだ。

-通算135勝

正直、もっと勝ちたかった。200勝を目指していたので、全然足りないが、よくやったなと思う。

-褒められるもの

朝、誰よりも早く来て、誰よりも練習したこと。自己満足の世界だが、自分の中ではやってきたつもり。継続できた。誰よりも早く練習するのは、どれだけ体がしんどくても、絶対に続けようと思ってやってきた。それは誇れる。根本的に負けず嫌い。すごい投手が入ってきても、何とか勝ってやろうという気持ちでやれたのが19年間生きた。

-次世代へ

悔いのないように。野球人生はそんなに長くない。やりきったと思えるような生活を毎日やってほしい。1軍で活躍すると世界は変わる。そこを目指して妥協せずに頑張ってほしい。