阪神球団初の阪急出身オーナーが誕生した。阪神は21日付で阪急阪神ホールディングス(HD)の杉山健博(たけひろ)社長(64)がオーナーに就任することを発表した。藤原崇起オーナー(70=阪神電鉄会長)は退任。大阪市内の阪神電鉄本社で就任会見を行った杉山新オーナーは「阪神タイガースの経営権は阪神電気鉄道にある」と明言。取締役から代表取締役会長となった秦雅夫(しん・まさお)氏(65)と二人三脚で18年ぶりのリーグ優勝へ全力を注ぐ。

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来年は阪急にとって創業者・小林一三氏の生誕150周年の節目にあたる。グループ内の士気を高めるため、エンターテインメント事業の核といえる阪神が常勝軍団に成長することを契機としたいところだろう。

阪急電鉄の前身にあたる箕面有馬電気鉄道を開業した小林氏は、沿線の宅地開発と複合化させたビジネスモデルを推進。宝塚歌劇を誕生させると、豊中グラウンドで「全国中等学校野球大会」の実現に踏み切った。

これが後の“夏の甲子園”につながっていく。第1回、第2回大会は豊中グラウンドで開催されたが、第3回から阪神電鉄が所有した鳴尾球場で行われ、甲子園へと移った。野球を巡って「阪急」「阪神」がクロスした場面だった。

1936年(昭11)に後の阪急ブレーブスの「大阪阪急野球協会」を設立。前年に阪神の「大阪野球倶楽部」は誕生していた。小林氏は日本を代表する立志伝中の実業家、私鉄で最初に野球にかかわった人物だった。

その阪急は06年、阪神との経営統合を実施し、同10月1日付で「阪急阪神ホールディングス(HD)」に変更。当時は“対等の精神”ともうたわれたが、実質的に阪急の影響力が強まっていった。

今回、阪神オーナーに初めて阪急出身者の杉山健博氏が就任に至ったのは、1つの歴史の転換点といえる。藤原崇起オーナー退任は時間の問題だったが、順当な流れとして考えられたのは、阪神電鉄・秦雅夫社長のオーナー就任だった。

しかし、グループ首脳が「ホールディングス内の人事だから何ら問題はない」と語ったように、阪急出身者の杉山氏の“登板”に一気に踏み切ったのも不思議ではなかった。

統合後は新入社員の一括採用が行われ、宝塚歌劇、阪神球団の間でエンターテインメント会議が開かれるなど人事交流が行われ、“聖域”とされた球団、球場でも例外ではなくなっている。

ここまでグループ内部では、20年に球界初のコロナ感染者を出すなどした球団の管理体制、監督に対するフロントのバックアップ態勢などが疑問視されてきた。

加えてある幹部は「同じ関西のオリックスが優勝しているのに、阪神はなぜ勝てないのか? という声が出始めた」と明かす。グループ首脳は「勝てる監督にお願いしたいということだ」という。ポスト矢野も、球団案は平田勝男2軍監督の昇格だったが、結局はHD会長、グループCEO・角和夫氏への忖度(そんたく)もあって、岡田彰布監督の起用に翻った。

杉山体制になった今後はGM(ゼネラルマネジャー)案の検討などフロント改革が断行される可能性が高い。常勝軍団を築くために、まずはフロントから足場固めが進められる。【寺尾博和編集委員】