日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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天からの声だった。おめでとう、藤川監督--。永久欠番23と同じ今年2月3日、91歳で生涯を閉じた阪神初代日本一監督・吉田義男氏のファミリーが、古巣のリーグ制覇を祝福した。
長女の八田智子さんは「きっと父も喜んでいると思います」と感激した様子。次女の中村範子さんも「どこかで父が見守っていたと信じたいです」と続けた。
吉田さんは昨年8月1日、甲子園開場100周年で始球式を務め、今年の球団創設90周年も楽しみにしていた。「なんかしてやらなあかん」。“吉田シート”を自腹で設けたのは、阪神が生き甲斐の吉田さんらしかった。
毎朝、前日の阪神戦の結果をノートにつけることが日課だった。線で区切って項目を作るのは孫の勇太朗さん。試合のポイント、チームに対する寸評も添えてマーカーを引いたルーティンは亡くなるまで続けた。
新人の佐藤輝に「総合力ではかなわんが、長嶋がデビューしたときの雰囲気を感じる」と語ったのは吉田さんだ。その存在は仁川学院時代から知っていた。ある日の甲子園練習で佐藤輝を見上げた。「お前、おれだれかわかるか?」「はい。吉田さんです」。そんな会話を交わして笑った。そして「もっと守備を教えなあかん。下を鍛えれば必ず伸びる」と大器の開花を願った。
智子さんはお別れの会に参列した佐藤輝が深々とお辞儀をした姿が、強く印象に残ったという。「岡田さんが育てた選手を藤川監督がしっかり束ねて勝ったと思います」。
範子さんも「父は岡田さんにつないだことで一安心だったのではないでしょうか」と話す。「(父は)他球団がだらしないと、絶対に言ってるでしょうね」と付け加えると、智子さんは「天国と地獄はつらいから、気をつけてほしい」とタイガースを思いやった。
吉田さんは野球界の将来を案じ、「監督は歴史の一コマに過ぎない」と言い続けた。伝統を継承しながら「常勝を築いてほしい」と熱望した黄金時代到来の兆しに、拍手を送っていることだろう。【寺尾博和】



