日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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福岡で西鉄ライオンズの黄金期を築いた大投手、稲尾和久が眠る墓に参った。「神様、仏様、稲尾様」を知る記者の佐竹英治が案内してくれた。久々の墓参で“鉄腕一代”と刻まれた4文字に手を合わせる。
稲尾が残した数字は気が遠くなるドラマで、その超人ぶりは“怪物”としか言いようがない。あまり知られていないが、彼の多大な功績は、再び福岡にプロ野球を誘致するために水面下で動いたことにもある。
博多を熱狂させた最強軍団の中心にいた男の悲願。愛すべき古巣は消滅したが、ナニワの名門南海ホークスを買収したダイエーが大阪から移転、当時世界一といわれたドーム球場がそびえ立った。
今ではセ・リーグをしのぐ時代で、地方に根付いた「実力のパ」は「人気もパ」に育った。ただ先人への敬意を欠いてあぐらをかけば、すぐに落ちぶれる。
パ・リーグ時代の交流戦は、今年もまたセ・リーグを圧倒。昨年の日本シリーズと同じ顔合わせだった福岡の3連戦も、ソフトバンクが阪神を見下すかのように打ち砕いた。
05年(平17)から始まった交流戦は、今年が21年目(20年は新型コロナウイルス感染拡大で中止)だったが、セ・リーグが勝ち越した年は、わずか3回しかない。
そもそも交流戦の新設には紆余(うよ)曲折があった。93年に当時の読売新聞社社長・渡辺恒雄が「1リーグ構想」をぶち上げると、その対案でコミッショナーの吉国一郎が提案したのが「セ・パ交流戦」だった。
観客動員減に歯止めがかからないパ・リーグだったが、巨人に依存するセ・リーグも、対巨人の人気カードが減少するため猛反対にあって先送り。「セ・パ対立」の構図が浮き彫りになった。
頓挫した交流戦が再浮上したのは、04年の「球界再編」が契機だった。パ・リーグでは40億円の赤字を計上する球団も出て、親会社が広告宣伝費で補填しないと経営が成り立たない状況に陥った。
権力をもった一部オーナーたちが、政財界を巻き込んで強引に「10球団1リーグ制」の縮小均衡に舵を切ろうとうごめいた。しかし強烈に反発したファンから支持を得ることができず「セ6・パ6」の2リーグを堅持した。
そして経営悪化が著しく、万策尽きたパ・リーグに手を差し伸べる形で導入されたのが交流戦だった。だがここにきてパ・リーグ人気に押されるばかりか、セ・リーグは実力差までつけられた。
セ・リーグは来季から「DH制」を導入する。だがすぐに強いパ・リーグに対抗できるとは思えない。ここはセ・パの仕組みを検討する時期にきているのではないだろうか。
そのためには現状の12球団から「球団数の拡張(エクスパンション)」を真剣に考えるべきだろう。そこで拙者は都内某所で、ある大物政治家を直撃した。
14年には自民党の日本経済再生本部がまとめた政府の提言「日本再生ビジョン」にプロ野球16球団構想が盛り込まれた。その旗頭が当時政調会長の高市早苗だった。
ある日、自民党幹事長代行・萩生田光一を待ち構え、この案件について聞いてみた。すでに消えてなくなったのかという問いに萩生田は「まだそういう考えはあると思います」と語ったから継続していることは確認できた。
こちらの取材目的を告げて、野球界の将来展望における持論を述べた後で、萩生田は言った。
「まだ(政府には)そういう考えはあると思いますよ。最近はベンチャーの企業が、みんな野球以外のスポンサーになっていきますからね。わかりました。また…」
当時、自民党の成長戦略にあった1つが、プロ野球のエクスパンションだった。“世界の王”、ソフトバンクホークス会長・王貞治もプロ野球改革には賛同している。
地域活性化をはかる市場拡大の実現には、お飾りでないリーダーの出現が待ち望まれる。サッカーW杯の世界的な盛り上がりに、野球界は危機感を感じるべきだろう。【寺尾博和】(敬称略)



