受話器の向こうから切なそうな声が聞こえてきた。

「今年も行きたかったんだけど、コロナでねぇ…。新幹線で移動するのも、はばかられるご時世だし。店も1カ月半ぐらい閉めてましたよ」

5月30日。東京・阿佐ケ谷にある天桂寺の門前で、私はスマホを握っていた。この日は15年前に亡くなった元二子山親方(元大関貴ノ花)の命日。故人が永眠する墓がここにある。所用があって墓参できない時を除いて、命日には私も足を運んでいる。ふと気になって、上京した際には墓参りに訪れる故人の弟子で、今は東京を離れて料理店を営む元力士に電話した。もし、これから墓参に来るなら久々の再会を楽しもう…。そんな願いは、前述のようにコロナ禍でかなわなかった。

足を運びたくても、墓参に来られなかった人は他にもいただろう。ただ、うれしいことに墓前には、持参した花が差し込めないぐらいの、あふれるほどの花が添えられていた。「15年たっても忘れられない存在の人だったんだな」とか「あの兄弟も、別々ではあっても来たんだろうな」とか雑念にかられながら…。

そんな下世話なことも考え、手を合わせて引き揚げる間際、年配女性と鉢合わせした。故人の現役時代からのファンで千葉・船橋から訪れたという。「『クンロク(9勝6敗)大関』とか言われたけど、小さい体で強かったもんね」。墓前でひとしきり話し込んだこの女性、自宅から一度、中野新橋にあった旧二子山部屋に寄って墓参りに来たという。「部屋はもう取り壊されてマンションの建築中でしたよ」。

そう聞いて、足は自然と中野新橋に向かった。街並みは変わっていない。ただ栄華を誇ったあの部屋は確かに跡形もなく、今年12月完了予定の4階建てマンションの建築工事中だった。もう一度、前述の元力士に電話してみた。「そうですか…。さら地になったのは聞いていたけど、もう他の建物が建つんですか…」。実は、部屋があった場所がさら地のうちに、OBの力士で集まって、酒を酌み交わしながら昔話に花を咲かそう、と夢を描いていたそうだ。

再び切なそうな声だったが、思い直したようにそのOB力士は言った。「来年は親方の17回忌ですか。またみんなで集まれればいいな。自分らが親方に育てられたことに変わりはないからね」。何となく、柄にもなく諸行無常を感じた新緑の一日。世の中のもの、移り変わっては生まれ変わり、また消えては…の繰り返しなのかもしれない。それでも、人それぞれ、心の中に大事にしまっているものは変わらない。とかく冷静さを失いがちな、コロナ禍にあるこのご時世でも…。墓前で会ったあの女性、OB力士に教えられた気がする。【渡辺佳彦】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「大相撲裏話」)

東京・中野新橋にあった旧二子山部屋跡地では現在、新築マンションの建設工事が進んでいる中
東京・中野新橋にあった旧二子山部屋跡地では現在、新築マンションの建設工事が進んでいる中