1人の力が、多くの人を勇気づける力がある。

スポーツ取材をしている中で、たびたび感じる。今回は相撲。11月場所、2横綱2大関が休場と看板役者が次々と消えていく中で、場所の終盤まで優勝争いを盛り上げたのが幕尻の志摩ノ海だった。

はっきりいって、優勝争いの上ではノーマーク。本人も「幕尻だから」と幕内残留へ必死に臨んだ結果だった。その思いが優勝争いとなり、幕尻が結びで相撲をとることになる。だから相撲はおもしろい。

志摩ノ海の快進撃にあわてたのが、地元・三重県志摩市の後援会だった。山下弘会長は結果にかかわらず千秋楽、パブリックビューイング(PV)を決めた。結果的に千秋楽を迎える前に志摩ノ海の優勝の可能性は消えていた。それでもPVの企画を中止することなく、地元の人たちを集めて、志摩ノ海に声援を送った。結果は11勝4敗に終わったが、2度目の敢闘賞を受賞した。

1人の力が多くの人を勇気づける。それを実感する出来事でもあった。山下会長は、志摩ノ海が初優勝の可能性があった時点から「千秋楽は東京に行きません。PVに専念します」。地元で、地元の人と応援することを決めていた。

山下会長は志摩ノ海の父、幸康さんと小学校、中学校と同級だった。幸康さんは志摩ノ海が入門前、09年4月に54歳の若さで急逝した。その時に「かわりに俺が応援していく」と決めたという。地元で後援会をたちあげ、後押ししてきた。幕尻の11月場所。山下会長は「何とか勝ち越してほしいと思っていたのが、うれしい誤算というのでしょうか。地元はざわざわしてます」と語っていた。

忖度(そんたく)なしに言えば、地味な存在だ。11月場所は自身の人生で最もスポットライトを浴びたのではないだろうか。それでも、人生における15日間の活躍で地元の、多くの人々を勇気づけられる。

土俵の上では孤独な戦い。その裏には、支える多くの人たちがいる。志摩ノ海の「ひょっとして」の活躍で、改めて知ることができた。【実藤健一】