スピッツの98年の代表曲を映画化した。須永恵は恋人の木下亜子と暮らす家を出ると、メガネを外して髪形を崩し、一眼レフを手にカメラマンとして全く別の人生を生きる。実は恵はニュージーランドで交通事故で亡くなっており、ショックのあまり自分を恵と思い込んだ亜子の前で、双子の兄涼が弟のフリをして二重生活をしている。涼は、亜子が大切な存在になっていくと自覚しながらも言い出せず、亜子も打ち明けられない秘密を抱える。
行定勲監督は、04年の代表作「世界の中心で、愛をさけぶ」から20年たち、再びラブストーリーの映画に挑んだ「楓」との比較、分析をしている。「セカチュー」は、松本朔太郎が白血病で入院中の恋人・廣瀬亜紀をオーストラリアへ連れて行こうと空港に向かう物語で、同監督は「少女の喪失を巡る物語」と評した。一方「楓」は「喪失から始まり信じたものを忘れない。表と裏の気持ちに違いがあり、踏み込めない部分を大事にした日本的なラブストーリー」と位置付けた。
「セカチュー」の朔太郎と亜紀は互いの思いを伝え、厳しい現実も受け止めている。対照的に「楓」の涼と亜子は、互いへの思いを直接的に口にせず、いびつな関係性にも踏み込まないでいる。その関係性は終盤、福士蒼汰と福原遥が繊細な芝居で表現しているが、ゆるやかに変化していく。
さかのぼって「セカチュー」を見ることで「楓」の2人が前に進むために必要だった「アンサー」を見た思いがした。真っすぐに伝えないと思いは伝わらないし、その機会、時間は有限ではない…。この2本をはじめ、愛を考える機会を、行定映画は与えてくれる。【村上幸将】
(このコラムの更新は毎週日曜日です)




