ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ~

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「アゲアゲさん」深い谷から歓喜の山への逆転人生

<挫折からよみがえった男~将棋ユーチューバーからの逆転人生~下>

ネット上では「アゲアゲさん」と呼ばれ、「将棋ユーチューバー」として活躍する将棋のアマチュア強豪、折田翔吾アマ(30)が25日、プロ入りをめざす棋士編入試験の5番勝負第4局に臨み、本田奎(けい)五段(22)を破り、対戦成績3勝1敗で合格した。

大阪市内の自宅でユーチューブにアップする動画を編集する折田翔吾アマ(撮影・松浦隆司)
大阪市内の自宅でユーチューブにアップする動画を編集する折田翔吾アマ(撮影・松浦隆司)

大阪府出身の折田アマは棋士養成機関「奨励会」の最上位の三段まで昇りながらも、26歳の年齢制限に阻まれ、退会しました。夢を絶たれた瞬間を「死んだという感覚に近かった」と話す折田アマ。ある者は絶望し、ある者は今後の人生に途方に暮れ、将棋と縁を切る者もいます。

「ニッカンスポーツ・コム」のコラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」では26日から3回にわたり、折田アマのプロ入りへの軌跡を連載します。最終回は「逆転人生」です。記事とともに「アゲアゲさん」の本人動画もアップ。熱いメッセージをお届けします。

      ◇      ◇      ◇

兵庫県川西市にある「森安将棋道場」。鉄筋5階建て、地下1階が研究室です。折田アマの師匠森安正幸七段(72)の自宅兼道場の外観は屋根がとんがり、将棋の駒の形をしています。地元では「将棋の家」として有名です。

中学3年のとき、折田アマは棋士養成機関「奨励会」に入り、森安将棋道場に通うようになりました。当時の印象を師匠はこう振り返ります。

「ほとんど自分から話すことはなく、おとなしいタイプでした」

物静かな折田アマでしたが、昇段・昇級は順調でした。

「他の子と比べて、上がるのが早かった。三段になりたてのころは強かった。ただ不思議なのは、三段リーグ戦の中ではあまり勝てなかった」

折田アマは5年10期参戦し、うち1期だけ9勝9敗。残りは負け越しでした。「三段は二段までの将棋と違って、勝つための研究がものすごいなと思った。研究でリードされて、力を出せずに負けた将棋もあった」と折田アマ。

続けてこう振り返ります。

「実は、三段に入ったことも、力的に自信満々というわけではなかった」

最難関の三段リーグは三十数人いる三段同士が半年間、18局ずつ指し、上位2人だけが四段(プロ)に昇段できます。超のつく狭き門です。四段昇段という最後の関門を突破するには棋力はもちろんですが、精神的な強さが求められます。

森安七段は三段リーグの過酷さをこう話します。

「あそこを卒業するのは至難の業です。自分が生き残るためには、他の人に勝たなければいけない世界。『自分が一番強い』『自分は棋士になるんだ』という気持ちが相当、強くなければ勝ち残れない。勝っているときはいい。負けたとき、よほどしっかりしていないと精神的にもたない」

夢が破れ、大きな壁を乗り越えることができなかった折田アマは師匠のもとを訪れました。「年齢制限で退会になりました。将棋関係の仕事を続けようと思います」。

あれから4年…。師匠は言います。「奨励会を退会し、4年後に棋士編入試験を受けることができること自体が私たちの世代からすれば、奇跡的です」。

「奇跡」という言葉はおおげさでありません。スポーツでも同じですが、競技から離れると、確実に実力は落ち、ブランクが長くなればなるほど、復活は難しくなります。

「棋力を維持するのは至難の業です。やめてしまうと、毎日勉強していたのがやらなくなる。あるいはやれなくなる。そうすると維持できない。棋力が低下するのは止めようがない」

退会後、将棋を続けたくてもすぐに、やりつづける「場所」を見つけることできないのが実情です。プログラミングの勉強もしていた折田アマはユーチューブの世界に「居場所」を見つけました。

師匠は「時代背景が折田君と合っていたんでしょうね」としみじみと語ります。退会後も棋力を維持し、さらにレベルアップする-。囲碁・将棋界ではAI(人工知能)を利用した将棋ソフトの研究が盛んに行われる時代が到来しました。AIはトップ棋士を上回る領域に達したと言われ、若手棋士は当たり前のように便利なツールとしてAIを使う時代です。

師匠は言います。

「私たちの時代は、将棋ソフトで調べるのは不可能。自分でやるしかない。自分1人でやった研究はあてにならない部分もある。どんな、いい手が隠されているか分からない。将棋ソフトだったら、ある程度、正確なことを、答えを教えてくれる。その答えには安心感がある」

対局に向かう前に準備段階で大きな差が出ると、師匠は言います。

「将棋は自信を持って指せるかどうかなんです。自分1人だと不安。もしかしたら自分の都合のいいように考えて、間違っているのではないか。将棋ソフトはしっかりしている、安心感がある。もちろん、全部はうのみにはできないが、そこに自分の研究を加えておけば、自信を持って指せる。そこが大きい。この世界は、対局するときに自信があるかないか、大きく違う」

紙一重の差で決まる勝負の世界。プロになる夢はいったんは挫折しましたが、あきらめずに戦い続けてきました。将棋ユーチューバとして活動した「アゲアゲさん」にはファンのメッセージが多く届きました。「自分も人生で挫折を経験しました。折田さんがあきらめずにやっている姿に勇気をもらいました」。

将棋ソフトも効率的に使いました。局面の研究、自ら指した将棋の研究、昨年9月からは再び、「森安将棋道場」にも通うようになりました。三段時代を「三段」と自称した折田アマは「三段時代よりも強くなっている実感はあります。AIの意見も参考にする、この時代の将棋研究のやり方が合っているのかもしれません。モチベーション的にもユーチューブで応援していただいて、気持ちの面でも前向きにいられる」。

弟子と対局した森安師匠は成長を肌で感じました。「雰囲気は、そんなには変わっていないが、将棋に対しては自信が出てきた。以前と比べても『自信』がまったく違っていた。指したら分かります。終盤が強くなり、寄せの構想力もよくなった。棋力は格段に上がっていた」。

折田アマは25日、東京都渋谷区の将棋会館で棋士編入試験5番勝負の第4局に臨み、本田奎(けい)五段(22)を破り、対戦成績3勝1敗で合格しました。本田五段は現在、八大タイトル戦の1つ、棋王戦に挑戦中の強敵でした。

終局後、会見に臨んだ折田アマは、尊敬する棋士として「師匠です」と即答。続けて「昔からお世話になった。師匠は長くプロを続けてこられた。『継続する大切さ』を教えていただいた」と話しました。

人生における深い「谷」と経験し、あきらめずに立ち向かい、歓喜の「山」を経験した逆転人生。折田アマは言います。

「アゲアゲ物語の第1章が終わりです。第2章、3章とストーリー性のあるような棋士になりたい」

4月1日付でプロ棋士の四段、「アゲアゲ先生」になります。(おわり)

【松浦隆司】(ニッカンスポーツ・コム/コラム「ナニワのベテラン走る~ミナミヘキタヘ」)

 ◆村上久美子(むらかみ・くみこ) 大阪(泉州)生まれ。91年入社。関西の芸能社会を中心に取材。吉本興業、宝塚歌劇、短期間ながら阪神タイガースと、関西発の3大ホットコーナーをはじめ、NMB48まで、取材歴は20年以上。

 ◆松浦隆司(まつうら・たかし) 大阪生まれ。92年入社。関西を中心にスポーツ紙の社会面担当としてエロから政治まで、ダークサイドも含め取材歴は20年以上。和歌山毒物カレー事件、橋下徹前大阪市長は茶髪弁護士時代から取材。

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