名曲やヒット曲の秘話を紹介する連載「歌っていいな」の第12回は、73年発表のチューリップの「心の旅」です。デビュー以来、なかなかヒットに恵まれなかったのですが、ボーカル財津和夫がプライドを捨て、ある勝負に出た曲でした。

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当時24歳の財津和夫に、お金はなかった。「あるのは、生活のために事務所にお願いした借金だけ。思い出したくないな」と、当時を懐かしむように笑った。

1971年(昭46)にビートルズになろうと、故郷福岡の西南学院大在学中に「チューリップ」を結成した。やる気満々で上京し、レコード会社にアポなしで飛び込んだ。地元でライブハウスに出演していた時は、パンとジュースが出演料。その感覚でレコード会社に「朝コッペパン、昼インスタントラーメン、夜カレーライス。食費は一日300円」という誓約書まで出した。「金のかからない男たち」をアピールしての勝負だったが、1年間で発売した2枚のシングルは不発だった。

「当時は、まだ草むらがあった東京・青山の6畳と4畳半の2Kのアパートに5人で住んでました。とにかく次の作品がヒットしなければ故郷に帰ろうと命がけでした」。財津は、流れを変えるために、3枚目の曲のリードボーカルを、自分から姫野達也に代えた。財津より甘い歌声の姫野は切ないラブソングにマッチした。そのコンセプトで完成したのが、起死回生のヒット曲「心の旅」だった。財津は「だから僕としては面白くない。不本意な曲なんです(笑い)。でもね、あの曲がなかったら、チューリップはなくなっていたかも」。

歌詞は財津の経験をモチーフにした。上京を決意した時、1歳年下の恋人がいたが、既に就職していたその女性を東京に呼ぶことはしなかった。「どうしてもバンドをやりたかったから。でもしばらくして別れの事実にジーンときた。クサい歌詞は恥ずかしかったけど、周りは『いい』って言ってくれてね」。

「心の旅」は発売から5カ月でヒットチャート1位に輝き、財津はまず借金を返した。「そうしたら、ほとんど残らなかった(笑い)」。それでも中央線沿線の高円寺に、一人部屋を持った。「あの頃はすごかった。まるでアイドルでしたから(笑い)。夏の夜に暑いからドアを開け放して寝ていたら、朝、女子高生が勝手に入ってきて起こしてくれた。『ありがとう』ってお礼を言ったら『それじゃあ』って登校していった。それだけだよ。本当に!」。

チューリップは、結成から25年たった1997年(平9)に、1年間限定で8年ぶりに再結成して全国ツアーを行った。「ビートルズだって集まって新曲を出した。僕たちだってね」。再結成のステージでは「心の旅」になると、姫野がメーンボーカルに立った。「やっぱり『心の旅』は姫野の声じゃないと、しっくりこない」。白髪もしわもいくぶん増えたが、財津の顔は青春そのものだった。【特別取材班】

※この記事は97年12月2日付の日刊スポーツに掲載されたものです。一部、加筆修正しました。連載「歌っていいな」は毎週日曜日に配信しています。