「なごり歌」がヒット中の演歌歌手・市川由紀乃(44)が26日、東京・新宿の天ぷら店「つな八京王店」で、ファンと懇親会を行った。

同店は1度歌謡界から身を引いた市川が、歌手だったことを隠して勤めていた思い出の場所。「今あるのはファンのおかげ。この場所でファンの方々に感謝の気持ちを伝えたい」と企画した。新曲購入者の来店希望者を抽選で招待する予定だったが、新型コロナウイルスの影響で延び延びとなっていた。

メニューには、市川のお薦めの品も入れられた。のれんはこの日のために、市川の名前が入ったものを特注した。

市川は02年4月、歌謡界から身を引いた。異変は手の汗だった。マイクを握ると汗が止まらなくなった。市川は当時のことをかつてこう話した。

「自分の精神的な部分でした。もっとうまく歌いたい、どうしたらいいかと壁にぶつかって。同年代の歌い手さんも多かったので、比較したり、うらやましく思ったり。悩むとどん底まで行く性格で、それを引きずってステージに立っている自分がとにかく嫌だった。戻れないという覚悟の上で、当時の事務所の社長にこのお仕事から身を引きたいと言いました」

普通の人に戻った市川は、ハローワークに通った。東京・銀座の喫茶店でバイトしたが、人間関係がうまくいかず1日で辞めた。

「恥ずかしながら歌い手というお仕事しか就いたことがなかったので、履歴書を書いて面接を受けるというのが、とてもプレッシャーでした。履歴書に『歌手』と書けず、前の事務所が不動産業もしていたので事務と書きました」

そして03年から勤めたのが「つな八」だった。キャッシャーや配膳に精を出した。当時、一緒に働いた現店長の村山彰さん(52)は「ミスをせず、いつもニコニコ気持ち良く働いてくれました」と懐かしんだ。

仕事にも慣れ、時は過ぎていった。身を引いたとはいえ歌手時代のスタッフとは定期的に食事をしていた。ある時「ここ(天ぷら屋さん)で一生働いて過ごすのも悪くないかな」とポロッと言った。すると「お前から歌を取ったら何が残る。もう1回歌と向き合ってみないか」と言われた。

当時の店長に、市川は「自分が歌手だったこと、今後を悩んでいること」を打ち明けた。すると店長は「すぐにウチを辞めなさい。応援するから再出発の準備をしなさい」と言ってくれた。

市川は「ここには時々来ていますが、当時を思い出すと、心機一転、また頑張ろうという気持ちになります」と話した。

苦しい時代を乗り越え、市川は06年10月に「海峡出船」で再デビューした。そして、いまや女性演歌界をけん引する存在となった。この日をばねに、市川由紀乃はさらにさらに、飛躍するだろう。【笹森文彦】