歌手で俳優の西郷輝彦さん(本名・今川盛揮=いまがわ・せいき)が20日午前9時41分、前立腺がんのため都内の病院で亡くなった。
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75歳だった。11年に前立腺がんと診断され、全摘出手術を受けたが17年に再発。昨年4月にはコロナ禍の中「もう少しだけ、好きな仕事をさせて欲しい」と望みをかけてオーストラリアに渡航し、日本で未承認の最先端治療を受けていた。葬儀は近親者のみで営む。
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10年もの長きにわたった前立腺がんとの闘いの末、西郷さんが力尽きた。オーストラリア・シドニーでの治療にも同行した妻が1人でみとったという。がんは11年に判明し、全摘出手術を受けたが17年に再発した。昨年5月には所属のサンミュージックを通じ、最先端治療を受けるため同4月23日にシドニーに渡ったと公表。コロナ禍の中、0~4ナノグラム/ミリリットルが基準値とされる前立腺腫瘍マーカー(PSA)の値が「3か4だったのが325」(西郷さん)と急上昇。主治医と話し合い、放射性同位元素アクチニウムでがん細胞を集中的に攻撃する、日本未承認の「PSMA標的内用療法」を受ける道を選んだ。
同5月12日には「悩んでいる人たちに体験し、お伝えするのも目的の1つ」とYouTubeに公式チャンネルを開設。愛用する米アップルのパソコンを駆使し自ら撮影、編集した最初の動画で「ホルモン治療に始まり、放射線、抗がん剤治療を11回もした」と闘病の歩みを語った。オーストラリアに入国後、2週間の隔離を余儀なくされた上、最初の検査で療法が合わなかったら「帰される可能性だってある」状況だった。
その中、昨年7月29日に投稿した動画では、希望の扉が開いた瞬間として、アクチニウムを右手から注射で注入するもようを紹介した。ただ、不安の種のPSAの値が下がらなかった。同じ動画で紹介した、日本とシドニーの医師とをつないだリモート会議の中で、西郷さんは「清水(の舞台)から飛び降りる思いでシドニーへ来たんじゃないですか。こちらで測ったら470、治療していただいて何と510!」と訴えた。
8月29日に投稿した動画では、治療経過が収められたDVDを見ながら、妻と「(がんが)消えてる…やった!」と喜び合った。一方で同月16日のPSA値が800になったデータを公開し「がんが消えてPSAが上がる?」と首をかしげた。シドニーの医師に「治療を中止し日本で調べたらどうか」と言われたが、日本の医師からは「がんは消えている。あとはあなたの判断」と告げられたと説明。「日本へ帰るなんて、とんでもない。こっちで調べて検査して必ず3回目の治療をやる」と宣言した。
関係者によると、西郷さんは希望通り3回目の治療を行い、昨年9月末に帰国したが、同10月前半から都内の病院に入院していたという。最初の動画で「74歳まで生きた。あとは静かに面白おかしく暮らせって思うでしょ? でもね、まだやりたいことがたくさんあるんだよ」と切々と訴えた願いは、かなわなかった。
<西郷輝彦さん闘病の経緯>
◆17年11月30日 6年前に前立腺がんと診断され全摘出手術を受けたこと、17年秋に再発が判明したとを所属事務所を通じて公表。
◆昨年4月23日 オーストラリア・シドニーの病院で最先端治療を受けることを決め、夜に羽田発の飛行機で日本をたつ。
◆同5月12日 オーストラリアで前立腺がんを治療すると公表。
◆同7月29日 動画で最先端治療を始めたと報告。
◆同8月29日 動画で、がんは消えたと報告。
◆同9月末 帰国。10月前半に都内の病院に入院。
◆西郷輝彦(さいごう・てるひこ、本名・今川盛揮=いまがわ・せいき)1947年(昭22)2月5日、鹿児島県生まれ。64年に「君だけを」で歌手デビューし、同曲と「十七才のこの胸に」で日本レコード大賞新人賞を受賞。同名映画で銀幕デビュー。66年には「星のフラメンコ」がリリースから2カ月で50万枚を売り上げる大ヒット。73年のフジテレビ系ドラマ「どてらい男」に主演し、俳優業に挑戦。デビュー30周年を迎えた94年に「別れの条件」で歌手活動を本格再開。



