歌手成世昌平(72)が、22日に新曲「あんちゃん/銀河への道」(作詞いではく・作曲聖川湧)を発売した。民謡で鍛えた伸びのある高音で、故郷への思いを歌い上げている。「今年72歳になりましたが、この年齢で1年3カ月ぶりの新曲を発表できるのは幸せですね。今回は、作詞家のもず唱平先生にプロデュースしていただきました」と笑顔を見せている。成世に聞いてみた。【小谷野俊哉】
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1978年(昭53)に営業マンとして勤務していた島津製作所を辞め、民謡のお師匠さんとして弟子に教え、歌う日々が続いた。そして85年、34歳の時にシングル「博多節/福知山音頭」を発売してデビューした。
「まあ、民謡歌手としてデビューしたわけです。演歌がメインのレコード会社で、僕なんか、ABCのランクの中でも、CランクのCだったんです。そこで87年にCランクで出した『寿』が10万枚行くかなという頃になって、Aランクにチェンジしました。2年後ぐらいですかね、結構売れてきたもんですから。それで第2の『祝い船』にしようと言って、いろいろとやりだしたんです。そうしたら昭和天皇のお体の具合が悪くなって、絶対に放送ができなくなってしまいました。仕方のないことなんですけどね。瀬川瑛子さんの『命くれない』とか、いろいろな曲が歌えなくなりました。『寿』は、どの行を取っても、全てがおめでたいという曲なんです。全部バラバラにして、1行ずつを散らしても、どれを拾ってもおめでたいんですよね」 年号が平成に変わって、またチャンスが巡ってきた。
「年が明けて、すぐに平成になりました。“成世昌平”という名前は、平成の『平』『成』の2文字が入っていると。芸能界では平泉成さんと2人だけだったんですね。それで、テレビ局から取材が来て、えらく長く取材をしてくれてね。だけど放送日が、勝新太郎さんの息子さんが撮影で真剣を使って事故を起こしちゃったのにぶつかった。それで、僕の分の放送は1分くらいになっちゃった。まあ、いいことあるなと思ったら、悪いこともあるなという感じで。ただ、歌い出しが<歌詞>咲いた『寿』永遠の文字 とおめでたいですからね、30年以上5秒間のヒット曲としては残っています(笑い)」
その後も、ヒット曲を求め続けた。
「まあ、いろんなことやりまして、1994年(平6)9月に関西空港が開港した時に、道頓堀の名物だった人形の『食いだおれ太郎』が、オーストラリア航空の飛行機に乗って5日間のオーストラリア旅行に行くとなったんです。それで、道頓堀のシンボルがなくなるので、似ている私が“お留守番”を務めることになったんです。まぁ、大好きだからうれしかったですね。赤白のストライプの服を着て、出したばかりの新曲の『繁盛ブギ』とかを歌いました。いやー、おそらくね、一生分ぐらい写真を撮られました。高校生の集団とかがやって来て『あのー、写真撮られせてください』って。食いたおれ太郎って、こんなに人気があるのかって思いましたよ」。
くいだおれ太郎効果もあって、上昇気流の乗るかと思われた。だが、翌1995年(平7)1月に阪神・淡路大震災があった。
「うちは大阪ですけど、それほど被害はなかったですね。テレビが飛び出したくらいですね。それで、なんかやれば、こういう形なんでね。まあ、でもいいか なと。演歌はいいから、民謡だけををやっていこうと思ってね。だから、それから2年ぐらいレコード会社の担当もつかなかったし。その2年間は新曲がないから何もない」
97、98年と新曲は出ずに、民謡に力を注いだ。そして99年、運命の曲との出会いがあった。
「もず唱平先生に、演歌をやりたいです。今からねやっていきたいと。だったら20年間やってきた民謡を生かしたものなら書いてあるけれども、それ以外は時間がかかるよと。頼んでおいて、じゃあ結構ですとも言えないです。では、お願いしますと。それで書いてくださったのが『はぐれコキリコ』で。でも、これはパッと当たったわけじゃない。99年に出した時には、誰も注目してくれない。結局、2年間のもほったらかしだったわけです。そうしたら、あちこちでカラオケ大会で『はぐれコキリコ』が、やたら歌われているようになった。200曲あったら大体1割ぐらいは『はぐれコキリコ』。その大会のプログラムを、ファンの方が持って来てくれてね。ありがたかったです」
みんなが持ってきてくれてありがとう。見せたら。
さらなるジャンプアップは『はぐれコキリコ』のカラオケがレーザーディスクに入ったことだった。
「あの頃の僕は、レーザーディスクには絶対入る余地はなかったんですけどね。その当時は、いろんなところのレーザーディスクを買って、お店でかけて歌うっていうのが流行っていたんです。それで、新曲を出す予定だった歌手の曲が、急きょ発売延期になっちゃった。それで、1曲分開いちゃったんで、僕の『はぐれコキリコ』を入れてくれたのが、まあ1つ大きなきっかけになりました。あちこちで、そのレーザーディスクで歌う人が増えました」
発売から3年。『はぐれコキリコ』は50万枚超のロングセラーになった。(つづく)
◆成世昌平(なるせ・しょうへい) 1951年(昭26)6月10日、広島県三次市生まれ。70年に大阪・都島工を卒業して島津製作所入社。74年から独学で民謡を始め、77年、78年に「産経民謡大賞」青年の部で連続優勝。78年の退社してプロの民謡歌手に。85年に「博多節/福知山音頭」でCDデビュー。87年「寿」。99年発売の「はぐれコキリコ」は02年にヒットして通算50万枚。171センチ。血液型O。



