歌手で芸人のタブレット純(50)が、異彩を放っている。小学生から中古レコードなどの収集が趣味で、昭和を代表するムード歌謡グループ、和田弘とマヒナスターズのボーカルに起用された。解散後は曲折を経て、「ムード歌謡漫談」という新ジャンルを確立。自ら描いた似顔絵を持っての声帯模写など、芸風は異色だ。中性的な風貌でか細い語り口調だが、歌声は低音というギャップで、観客を独特の世界に導く。コンプレックスを力に変えて道を切り開いた、まさに異能の人である。(敬称略)【笹森文彦】
★スナックのママ歌わせてくれた
ラジオやテレビ出演、講演活動など多忙だ。長い髪、レトロな衣装、か細い語り口調などは中性的で、独特の雰囲気を醸し出す。
「最近よく出てるねって言われますが、実感はありません。長い年月の中で、スナック回りとかも含めて、回数自体は結構多くやっていたので、(仕事の)場所がちょっと変わった、みたいな感じです」
和田弘とマヒナスターズの元ボーカル、ソロ歌手、ムード歌謡漫談や声帯模写の芸人と肩書は多い。原点は小学校時代から始めた中古レコード収集にある。
「小中高といじめられっ子でした。引っ込み思案で勉強も運動も得意じゃなくて、今で言う性的マイノリティーの悩みなど、コンプレックスが山積みにありました。そんな中、趣味が現実逃避みたいな、生きがいになりました」
小学5年から、AMラジオから流れる歌謡曲を聴きあさった。中古レコードを集め、作品の分析などに没頭した。今ではLPなど3000枚以上になる。
その中で魅了されたのが和田弘とマヒナスターズ(略マヒナ)だった。松尾和子と歌った「誰よりも君を愛す」で第2回日本レコード大賞(60年)を獲得。ヒットを連発していた。
「子どもが夢見る大人の世界みたいな感覚で聴いていました。マヒナを聴いている子供なんているわけないと思っていたので、マヒナの音楽との友情を感じていました」
小学校の卒業文集に「好きなタレントはマヒナスターズ」と書いた。
高校卒業後は、古書店の店員や介護の仕事をした。雑誌でマヒナスターズのメンバーのカラオケ教室を知り、入門した。3カ月後、マヒナスターズは内紛で分裂。入門したての青年に急きょ、補充要員として白羽の矢が立った。
「ヒット曲やステージでやる曲はすべて歌えました。リーダーの和田さんが『口パクでもいい』と了承して、田渕純という芸名をつけてくれました」
02年1月、27歳の最年少ボーカル(低音パート)が誕生したが、すでにグループの仕事は激減。新曲を出すことなく、04年1月に和田が死去し解散した。
歌手は辞めると思ったが、マヒナ時代から応援してくれた地元のスナックのママさんらがお店で歌わせてくれた。昼夜、何軒も回って歌っては飲んだ。酒浸りの日々、生活はすさんだ。
★似顔絵を持ちながらの声帯模写
幼少からの引っ込み思案で、本当は人前に出るのが苦手だった。マヒナ時代も緊張を和らげるために、お酒に頼っていた。解散後も常に酔った状態だったが、そのキャラクターが面白がられた。東京のライブハウスに呼ばれるようになった。歌うのではなく、ステージで興奮を装って失神する役だった。
「学生時代からいじめられっ子で、道の真ん中で絶叫しろ、とか変なことをさせられていました。ある種、芸人みたいな扱いで、もしかしたら、それが(お笑い寄りになる)宿命だったのかなと思います」
転機が訪れた。浅草フランス座演芸場東洋館から、声が掛かった。ビートたけしらを輩出した老舗だ。最初は歌だけだったが、場所柄笑いにシフトして、歌と漫談でステージに立った。11年からレギュラーになった。歌手名の田渕純ではなく、もじった「タブレット純」として出演した。
当初は「タブレット純子」の名で女装して出たこともあったが、気づいた。
「演じるよりも素で出た方が、笑いの反応が良かった。歌って、ボソボソしゃべるという形が、徐々に完成されていったんです」
支配人の発案で、ギターを抱えた「ムード歌謡漫談」という新ジャンルで出演した。「永ちゃん(矢沢永吉)とサザンを歌います」と言って、栄ちゃん(大川栄策)の「さざんかの宿」を歌った。受けた。
自分で描いた似顔絵を持ちながらの声帯模写や、算数問題のネタなど、独自の芸風も築き上げた。似顔絵は自分が好きな人ばかり100枚はあるという。
「学生時代、先生のものまねをやったら、似ていて話題になって。一芸を持つと、一目置かれるじゃないですけど、いじめが緩和されました(笑い)」
子供のころからほとんど変わっていないという。気持ちの赴くままやってきたことが、いつのまにか仕事につながった。
「振り返れば、コンプレックスが多すぎて、逆にそれが力になっていたような気がします。人は素晴らしい、かっこいいものだけを見たいわけじゃなくて、『何やってるんだ、こいつ、ばかだな』みたいなのも、人の心を救ってきたと思うんです。自分も(見る人に)希望を持ってもらえたらと思っています」。
◆タブレット純(じゅん)本名・橋本康之。1974年(昭49)8月31日、神奈川・津久井町(現相模原市)生まれ。「タブレット純 音楽の黄金時代」(ラジオ日本)「ラジオ深夜便『夜ばなし歌声喫茶』」(NHKラジオ第1)などに出演中。連載は「タブレット純の昭和歌謡『残響伝』」(週刊新潮)など。書籍は「タブレット純 音楽の黄金時代レコードガイド」(シンコーミュージック)「タブレット純のムードコーラス聖地巡礼」(山中企画)など。CDは「東京パラダイス」(20年)「百日紅(サルスベリ)」(22年)「銀河に抱かれて」(23年)など多数。声帯模写のレパートリーは大沢悠里、永六輔、美輪明宏、石破茂ら多数。血液型A。
■4・23クミコ共演コンサート第2弾
クミコ(70)とタブレット純が共演するコンサートの第2弾「昭和ジュークBOX~昭和歌謡とシャンソンの夕べ デラックス」が4月23日に、東京・有楽町よみうりホールで開催される。午後2時と同6時開演の2回公演で、それぞれが思い出の歌を歌い、語り合う。スペシャルゲストは松崎しげる(75)。タブレット純は「宝石箱のひとときになりますように」と意気込んでいる。
■自伝「ムクの祈り」阿川佐和子氏絶賛
著書「ムクの祈り タブレット純自伝」(リトルモア刊)が昨年12月10日に発売された。初の自伝で、話題となっている。
ムクとはかつて飼っていた愛犬の名前で、手放してしまったという。そのムクに自分を重ね、悔恨の念とともに、自らの誕生秘話を赤裸々につづっている。親交あるエッセイストでキャスターの阿川佐和子氏は、刊行に際し「まるで韓流ドラマのよう。切なさと愛おしさと弱さと大胆さと、愛とサスペンスに満ちたタブレット純の物語を知ったら、どんなに落ち込んでいても、きっと外へ飛び出したくなるはず」とコメントを寄せている。
タブレット純は「自分のコンプレックスみたいなものも、どんどんさらけ出して、苦しんでいる人が外に出たいと思ってもらえたらうれしい」と語る。将来的には、社会事象などを取材して記事化するルポライターとしても活動したいという。



