東映最後の直営館として、1960年(昭35)9月20日に開館した東京・丸の内TOEIが、本社の東映会館の老朽化を理由に7月27日に閉館し、約65年の歴史に幕を下ろす。その閉館プロジェクト「さよなら丸の内TOEI」が9日からスタートした。
18日にはプロジェクトの一環として、2018年(平30)の映画「孤狼の血」が上映され、主演の役所広司(69)と白石和彌監督(50)が上映後舞台あいさつに登壇した。ラストの、役所の言葉が脳裏から離れない。
「この丸の内TOEIが、あと70日…寂しいですね。(中略)僕の映画の青春が詰まった映画館でした。こういう街の映画館が、どんどん、どんどんなくなって、シネコンになっていくきますけど、寂しいですね。俳優、スタッフでも、丸の内TOEIを知っている映画人が、どんどん、どんどん減っていくのかなぁと思うと、これも、また寂しい。東映らしい映画を作り、この、さよなら丸の内TOEIで舞台あいさつができて、とても幸せを感じております」
役所が初めて丸の内TOEIの舞台あいさつに立ったのは、1990年(平2)の日本・ソ連(現ロシア)合作の主演映画「オーロラの下で」(後藤俊夫)だという。日本では90年代に入り、1つの映画館が複数のスクリーンを持つシネコンが郊外を中心に急増していた。東映も2000年(平12)にシネコンチェーン「ティ・ジョイ」を設立し、第1号店のTジョイ東広島に、当時日本で初のデジタル映写機を導入した。
そのシネコンも、2010年前後から、都市型のものが増えた。例えば東京・新宿では、07年開業の新宿バルト9(9スクリーン)翌08年開業の新宿ピカデリー(10スクリーン)15年開業のTOHOシネマズ新宿(12スクリーン)と、3つの大きなシネコンがある。
丸の内TOEIの近隣を見ても、18年に開業したTOHOシネマズ日比谷は、都内最大級の13スクリーンを有する。東映会館の落成とともに丸の内東映と洋画封切館・丸の内東映パラスとして開館し、2スクリーンを構えるにとどまる丸の内TOEIとのスクリーン数の差は歴然だ。
一方で、シネコンが、日本映画界の首を絞めていると指摘する関係者は少なくない。
「シネコンは、興行的にヒットしている作品を複数のスクリーンで上映する一方で、例え新作であっても興業の数字が伸びなかったら、公開2週目から上映時間を早朝かレイトショーにするか最悪、1週間で上映を打ち切る。これでは多様な作品を映画館で鑑賞できない」
「シネコンがなく、直営館が中心だった頃は、各映画館が、それぞれの推し作品を長く上映し続けた。そこからヒットが生まれたことも少なくなかった。今は、どこのシネコンも当たっている作品を同じようにかけているだけだ」
例えば、22年12月4日に閉館し、現在は「Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下」として営業している東京・渋谷区の渋谷TOEIは、11年12月に亡くなった森田芳光監督ゆかりの劇場だった。97年に配給収入23億円を記録した、同監督の「失楽園」が封切られた際、多くの観客が足を運んだ。同監督が亡くなった翌年の12年(平24)3月24日には、遺作「僕達急行 A列車で行こう」の初日舞台あいさつが行われた。
シネコンも、例えばアニメの映画を多く上映したり、上映中の声だし応援OKをウリにするなど、色は出している。ただ、どうしたって興行成績の良い作品を複数のスクリーンで上映するだろうし、旧来の主流だった丸の内TOEI、渋谷TOEIといった直営館、ミニシアターと呼ばれる単館系の映画館のように、1つに作品を長期にわたって推し、上映し続けることは難しい。役所が口にした「僕の映画の青春が詰まった」映画館は、なかなか生まれにくいだろう。
丸の内TOEI前には「さよなら丸の内TOEI」のポスターが掲出されている。取材に足を運ぶと、通りかかった母親がポスターの前で立ち止まり、子供に「ここ、なくなっちゃうんだよ」と語りかけながらスマートフォンで写真を撮ったり、語らう場面を何度も見かけた。「孤狼の血」も、北大路欣也(82)が登壇し11日に上映が行われた1973年(昭48)の映画「仁義なき戦い 広島死闘篇」(深作欣二監督監督)も、客席は、ほぼ満席だった。丸の内TOEIで映画を見ることの幸せを、きっと知っている人たちが客席を埋めているのだろうと思うと、寂しくも、うれしさを覚えた。
役所が口にしたように、登壇した俳優、取材した我々メディア、映画を見た観客の心に丸の内TOEIは残るにしても、そうした人々の数も、年月を重ねれば減っていく。役所と同じように、それが寂しく、悲しいから、丸の内TOEIがあるうちに、少しでもあの温かい、映画愛にあふれた空間を1人でも多くの人に体感して欲しいと思い、連日、足を運んで取材している。「あと、何回、丸の内TOEIで取材できるのだろう…」。そう思いながら、丸の内TOEIのステージを見つめ、目に焼き付けながら取材している。
【村上幸将】



