2025年も多くの名馬が天国へと旅立った。98・99年有馬記念連覇を果たしたグラスワンダー、史上初のジャパンC連覇などG1・7勝のジェンティルドンナ、そして4月香港で競走中止となり安楽死措置が取られたリバティアイランド…。ファンの記憶に残る名馬の死を悼むとともに、その栄光を振り返る。(JRA、牧場などからの発表を受け紙面で報じたG1馬を中心に再編集したものです)
▽8月8日
グラスワンダー(セン30)
けい養先の明和牧場(北海道新冠町)で死亡した。高齢による体力の低下から、多臓器不全を起こしたものとみられる。
米国産馬で、デビューから無敗で97年朝日杯3歳S(現朝日杯FS)をレコードタイムで制した。98年は故障もあり結果が出なかったが、有馬記念で復活の勝利。翌年の宝塚記念、有馬記念を制し史上2頭目のグランプリ3連覇の偉業を果たした。99年の有馬記念は2着スペシャルウィークと鼻差の大接戦を演じ、競馬史に残る死闘となった。通算15戦9勝(G1・4勝)。
同期にはエルコンドルパサー、セイウンスカイ、キングヘイローなどが名を連ね、最強世代と称された。種牡馬としても、08年ジャパンC覇者スクリーンヒーローなどのG1馬を送り出した。スクリーンヒーローからモーリス、さらにピクシーナイトへつながるなど、現在の出走馬にも大きな影響を与えている。20年に種牡馬を引退することが発表され、明和牧場で余生を過ごしていた。
▽9月9日
ハルウララ(牝29)
千葉県御宿町のマーサファームで疝痛(せんつう)のため死亡した。
通算113戦0勝。負け続けても頑張って走り続ける馬として愛された異色の名馬だった。高知競馬の宗石厩舎から98年11月にデビューし、03年12月に100連敗を喫した。04年3月の106戦目には武豊騎手が騎乗(10着)。フィーバーは社会現象となり、負け続けて“当たらない”単勝馬券は、交通安全のお守りとして売れに売れた。また、現役時代は就職氷河期。走り続ける姿が、必死に生きる人生とオーバーラップし共感を呼んだ。
引退後は複数の牧場を渡り歩き、一時期は消息不明となったが、12年12月から同ファームで養老生活を送っていた。
▽9月15日
エイシンデピュティ(牡23)
北海道浦河町の栄進牧場で功労馬として余生を過ごしていた。父フレンチデピュティ、母エイシンマッカレンという血統。栗東の野元昭厩舎が管理し、05年にデビューした。5歳時にエプソムCで重賞初制覇を果たし、08年の6歳シーズンは年明けの京都金杯を快勝。金鯱賞を勝って挑んだ宝塚記念(5番人気)は小雨の中、テン乗り内田博幸騎手とともに鮮やかな逃げ切りを決めた。通算30戦10勝。
▽11月5日
マイネルネオス(セン22)
余生を過ごしていたけい養先のカントリーライフ21(福島県いわき市)で永眠した。
ステイゴールド産駒で05年に美浦・稲葉隆一厩舎からデビュー。平地4勝で準オープンまでいき、6歳春から本格的に障害に転向した。11年の中山グランドジャンプを柴田大知騎手とのコンビで制覇。通算51戦8勝(うち平地23戦4勝)。近親にオークス馬ユーバーレーベン、新潟記念制覇のマイネルファンロン、23年の中山大障害を制したマイネルグロンがいる。
▽11月25日
ジェンティルドンナ(牝16)
最初にジャパンCを制したのと同じ11月25日に16歳でこの世を去った。
父ディープインパクト、母ドナブリーニの良血馬。12年の日刊スポーツ賞シンザン記念で重賞初制覇。桜花賞、オークス、秋華賞を連勝し、史上4頭目の牝馬3冠を達成した。古馬との初対決となった同年ジャパンCでは凱旋門賞2着からの帰国初戦だった3冠馬オルフェーヴルとの激戦を制し、3歳牝馬初のジャパンC制覇を果たした。13年に史上初のジャパンC連覇、14年にはドバイシーマC、ラストランの有馬記念を勝利しG1・7勝とした。通算成績は19戦10勝。12年、14年と2度の年度代表馬に輝き、16年には顕彰馬に選出された。
繁殖入り後は6頭の産駒を出し、ジェラルディーナが22年エリザベス女王杯を制した。今年5月に繁殖馬を引退していた。馬名の意味はイタリア語で「貴婦人」。美しく、強く、多くの人に愛された牝馬だった。

