陸上男子110メートル障害の高山峻野(25=ゼンリン)は、日本勢初となる同種目の決勝に進出する可能性を秘めている。本来なら4日は東京オリンピック(五輪)の予選で、その期待が高まっているはずだった。昨季、13秒25の日本新記録を樹立した。昨秋の世界選手権(ドーハ)準決勝も5台目の踏み切りまでは先頭。強みは後半だけにハードルに足を当てなければ、快挙は現実的だった。その高山には広島工大高の時、読むのを心待ちにしていた新聞があった。

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その新聞はだいたい2週間に1度のペースで発行される。試合の前後には必ず。高山は回想する。

「すごくクオリティー高いじゃないですか!? 毎回、友達と見るのを楽しみにしていたんです。強い選手だけでなく、頑張った選手を載せてくれますし。僕だけでなく、みんな励みになっていたと思います」

紙名は「koスポ」。もちろん広島工(ko)大高が、その名前の由来だ。

「高山 中国高校新」(第421号)「衝撃“転倒”高山 途中棄権」(第428号)「涙のラストゲーム 最後に県大会初入賞」(第432号)

新聞にはスポーツ紙の1面のごとく、大きな写真の上に、大きな見出しが躍る。そして試合の展望や戦評記事が掲載される。記者、カメラマン、編集。すべて担当は当時の顧問である福地光文教頭(55)だ。着任から20年以上、それを続けた“編集長”は「単純に少しでも選手のモチベーションになればと思いまして」。少し照れくさそうに語る。福地教頭が中学時代、「学級通信」のような冊子を陸上部の先生が作ってくれて、頑張れた経験があったという。「恩師にしてもらったことをやっているんです」。今は陸上部の顧問から退いているが、新聞は後任の先生が引き継ぎ、存続している。

「koスポ」はパソコンのソフトを使い、授業や練習の合間の空き時間で作った。記事も50行(約600文字)ほどが多いが、1つ完成するのは「20分ぐらい」という。新聞記者1年生は、もし50行の原稿を求められれば、目安として「50分で書け」と習う。それが記事の執筆だけでなく、写真、データ表まで添える時もあるから、驚異的な手際のよさだ。「文章は思い付くままに書いているだけですから。あんまり読まれると恥ずかしいですけどね」と苦笑いする。

そんな恩師に、高山は感謝する。

「陸上の師ではあるのですけど、それ以上に心の師ですね。競技は一生懸命やっていたのですけど、生活面で未熟な部分があって、支えてもらい、助けていただきました」

卒業後も、高山が世界選手権に初出場した17年夏にも特別号が発行された。福地教頭は「東京五輪に決定したり、活躍したら号外を作りますよ」と告知する。さて、東京五輪後にはどんな見出しが新聞を飾るのだろうか。【上田悠太】

◆高山峻野(たかやま・しゅんや)1994年(平6)9月3日、広島県生まれ。中広中、広島工大高、明大・法学部を経て、ゼンリンへ。日本選手権は15、17、19年の3度目のV。17年世界選手権は予選敗退。18年のジャカルタ・アジア大会は銅メダル。趣味はイラスト描きで、人気マンガ「ドラゴンボール」の孫悟空が得意。182センチ、73キロ。